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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4766号】平和メッセージ 平和への道

2013年2月9日

ルカによる福音書19章41〜44節

伊藤瑞男

きのこ雲の下で

1945年8月6日午前8時15分、広島市中心部の上空600メートルで原子爆弾が炸裂しました。
私はそのとき、爆心地から10キロ位離れた、宮島(厳島)の小学校の教室にいて皆と一緒に自習をしていました。
原爆の閃光が教室の中に貫き入りました。小学校2年生の子どもたちは、顔を見合わせて、何だろうと言い合いました。
すると、暫くして、激しい衝撃波が襲ってきました。教室は激しく揺れ、窓ガラスが割れました。子どもたちは一斉に悲鳴を上げ、争って教室から運動場へ出ました。
その時、皆は、近くに爆弾が落ちたと思い、運動場に立って、周囲を見回しました。
すると、背後の山の端から、きのこ雲が現われ、非常な勢いで立ちのぼっていきました。この原子雲の下で、どんなことが起きているのかは、子どもの私にはわからず、呆然と見上げていました。
この原爆投下の意味するところは、すべて後から分かってきたことです。
広島市にいたと見られる約35万人の内、約12万人が、この日から12月までの間に死んだと推定されています。
その後、広島市で成長する中で、日本人はなぜこのような愚かな戦争をして国を滅ぼすまでになったのか、という疑問と、原爆のような残酷な大量殺戮兵器は二度と使われてはならない、という思いが、私の中で定着していきました。

平和への道が見えないゆえに

主イエスは、最後のエルサレム入城の際に、オリーブ山から都を見下ろしながら、涙を流され、言われました。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、…」。
エルサレムの人々は、平和への道をわきまえていない。だから戦争を招きよせてしまう。彼らは、数十年後ローマに対する無謀な戦争に突入してしまい、ローマの大軍が都を包囲し、苦しい籠城戦になる。そして、城壁は破られ、町は徹底的な破壊に遭う。多くの人々が餓死し、殺され、子どもたちまでむごい仕方で殺される。そういう光景がイエス様には見えていたのです。このような光景は、第2次世界大戦において極限に達したことを私たちは知っています。
主は、ここで何を私たちに語りかけておられるでしょうか。
第一に、主イエスは涙を流されるほど、エルサレムとその人々を愛し、心配しておられたということです。戦争がもたらす悲劇を見抜いておられ、人々にはそのような悲劇に遭わないようにと願われました。
それゆえ、エルサレムの神殿に破壊者が侵入するのを見たら、「そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。…家にある物を何か取り出そうとして中に入ってはならない。畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない」と言われるのです(マルコ13・14〜16)。
これは、戦争の被害を最も受ける住民に対する丁寧な警告です。そこで大切なことは、生きのびることだと言われるのです。
第二に、主イエスは政治の支配者、責任者に対しても警告を告げておられるとみてよいでしょう。彼らの務めはこのような戦争の悲劇を避けることです。
「また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう」(ルカ14・31〜32)。
これは、王たちの心得ておくべき常識です。しかし、ユダヤの指導者たちは、ローマの大軍に対して和を求めず、立ち向かうのです。愚かな悲劇的な戦いとなります。

神の訪れの時を知る

主は、エルサレムのユダヤ人たちが平和への道をわきまえていなかったのは、「神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」と言われました。
「神の訪れてくださる時」とはどういう時でしょう。御子イエスが来られる時です。それは、主イエスがロバに乗ってエルサレムに入城された「この日」です。ロバに乗られたのは、ゼカリヤ書9章の預言に従って、ご自身が平和の王であることを示そうとされたからです。
「平和への道」と訳されている元の言葉は、「平和のための種々のことがら」という意味です。平和をつくり出すためにはいろいろな道がある。その中で、主イエスは最も大切な道を示されました。それは、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(ルカ20・25)というお言葉です。これは、ローマ帝国への税金を払うべきかどうか、という質問に対する答えでしたが、税は皇帝の権限に属するものだ、と言われたのです。しかし、ユダヤの国においては神がすべてを支配するべきで、皇帝の権威など認めないと信じるユダヤ人たちは、この主の言葉を受け付けませんでした。
しかし、これが新しい時代の、平和への重要な道標となるのです。
政治の支配者に神の領域を侵させず、また神の権威の下にこの世の事柄すべてを服させるのではない道です。主ご自身が体現されたこの道に、私たちも歩みたいと思います。
(第38総会期教団総会副議長、大泉ベテル教会牧師)

 

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