総会2日目夕食後、休会中には、恒例の解放劇が上演された。隔年の総会毎に上演されてきた解放劇は、今上演で10作目、20年続いたことになる。演題は「希望を生み出す」。ロマ書5・3〜5をテキストとする劇である。
5年間無牧だった教会がやっと女性の牧師を新しく迎えることができた。無牧を忍耐した教会にとって松井牧師は希望である、と役員は語るが…。
就任から半年が過ぎた、ある日の役員会で、松井牧師は、教会で行なった前回の部落差別の研修に続いて、今回は性的少数者差別についての学習会を行ないたい、と提案する。だが、役員の受け止めは積極的ではない。差別の問題は重要だとしつつも、教会にはもっとすることがあると、教勢を伸ばして経済的にも余裕を持たせることがまず大切だと、やんわりと牧師に意見する。
この教会には、牧師を目指して神学校に進もうという谷田青年と、被災地ボランティアに励んできた山口青年がいる。二人とも教会で幼いときから育ってきた。山口青年は、教会でボランティア報告会を行い、牧師からも役員からも称賛される。しかし実は、彼はもうボランティアに来なくていいと、現地で言い渡されたことに悩んでいる。一方、谷田青年は、彼女を幼いときから熱心に教会連れてきてくれていた母親が今は教会に通っていない。松井牧師の前任者のもとで、5年前に教会で起こった事件がきっかけで教会から離れてしまったのだ。谷田青年自身は、母が部落に生まれたことをこれまで意識したことはなかったが、5年前に母を巻き込んだ事件のことを知り、教会役員会に強く抗議することになる。
5年前に教会で起こった事件とは、前任の牧師が部落の地域での家庭集会や訪問を行なわなかったこと、また聖餐式は牧師の専権事項として谷田青年の母親をはじめ部落出身者を聖餐式の配餐当番から外したことだった。結局、この事件に教区が事実確認の調査に入り前任牧師は転任することとなった。教会は、しばらく落ち着くまでと、教区の後任推薦も受けることができずに5年もの無牧を過ごさねばならなかった。
谷田青年の抗議に対し、牧師が辞任したあと教会もとても傷ついたのだ、というのが役員たちの訴えるところだが、谷田青年は、実際傷ついたのは誰か、と役員会を強く問い糾す。
エンディングでも何も解決していない。教会には依然として事件によってできた傷が残り続け、再びこれが開いてしまった。ただ、ボランティアに来ることを断られた山口青年は、自分は何ができるかの答えを被災地に求めていたのではないか、と気付く。谷田青年は、牧師となって差別の無い教会を建てたい、と決心する。
震災後、はじめての教団総会で、解放劇でも震災について触れなければならない、ということであったのかもしれない。しかし、部落差別における課題と、被災地の課題をつなげようとするのに二兎を追ってちぐはぐしてしまった感は否めなかった。そこに共通の課題があるとすると何なのか。希望が生まれ、この希望が決して欺かないのは、教会が、教会へと来る人々のニーズに答えることによって起こるのだろうか。それとも、別のところに求める必要があるのだろうか。解放劇は前者であると答えているようだ。
(渡邊義彦報)