1933年、東京生まれ。演出家(日本映画監督協会)。麻布南部坂教会員。
思い出深い作品のひとつに、市川森一氏の脚本によって監督として手がけた、帰ってきたウルトラマンシリーズ「悪魔と天使の間に…」がある。ウルトラマンファンの間でも傑作に挙げられる作品である。
真船さんは、市川氏がキリスト者であることを公にして、この業界で仕事を続けてきたことを尊敬してきた。真船さんが演出した作品の多くは自身がまだキリスト者となる以前に手がけたものだった。この「悪魔と天使の間に…」もそうだった。しかし、市川氏がこの作品に込めたキリスト教的メッセージを強く捉えることができた。
真船さんが洗礼を受ける前からキリスト教に心動かされてきたのは、幼いときよりキリスト教に触れてきたことで培われたものによってであろう。
小児結核を患ったことで、小学校2年生から、神奈川・茅ヶ崎の全寮制の白十字会林間学校に入り、寮から施設内の小学校に通った。教員、寮母は皆キリスト者だった。終戦を迎え小学校卒業後は自由学園に入学。高校1年生まで同じように寮生活をして通学した。残りの高校生活を関東学院に送った。小学校から10年以上に亘ってキリスト教学校に過ごしたことは決して小さなことではない。
大学卒業後、映像の世界に進んだ。キリスト教、キリスト者に関する映像作製には心が大きく動かされた。市川氏との仕事もそのひとつだった。
後に伝道者として献身する友人を介して教会と出会い、洗礼の恵みに浴した。72歳で教会につなげられるまで長い時間を要した。このときには演出家としての大方の仕事はすでに終わっていた。もっと早くキリスト者としてこの世界で働いていたらどうであったであろうか、との思いもある。だが、この時だった。アナトール・フランスが描いた曲芸師に思いが重なる。映像の世界の一線からは退いたが、ここに至って、主のためにという思いはいよいよ深い。