5年後の宗教改革500年を見据え
8月21~23日、全国教会中高生・青年大会が、教団内の有志青年伝道団体を結集して、主題「日本伝道のために~召命と派遣~」(ローマ12章1節)のもと、恵みシャレー軽井沢を会場に開催された。この大会は5年後の2017年に宗教改革500年を記念する青年大会開催を見据え、そのプレ集会として位置付けられ、日本伝道の幻に仕えるため、次代の教会を担う若き器が育てられ、伝道者が起されることを願うものである。参加運動体は、北海道青年修養会、全国教会青年同盟、全国連合長老会、改革長老教会協議会、北陸伝道会、福音主義教会連合関西部会、西日本教会青年同盟、日本伝道会九州、沖縄キリスト伝道会、eAst21asiaであった。また教団教育委員会のプログラムであるユースミッションがプログラムに合流、同委員会と伝道方策検討委員会の後援を受けた。北海道から沖縄まで全国90教会から中学生31名、高校生40名、青年132名、加えて韓国から6名、台湾から7名、講師・教職・引率者を含め総勢270名が主に召し集められた。講演と分団は中高生と青年に分かれ、礼拝と夜のプログラムは全体で行われた。1日目、開会礼拝で大住雄一東京神学大学教授が「神の前に」(マタイ28章16~20節)と題して説教、大会主題の意味と姿勢を示した。夜には森祐理氏(クリスチャンアーティスト)の特別コンサートを通し、キリストに生かされている喜びを確認し、讃美するひとときとなった。森氏の証しと讃美に心打たれ、涙する者も多かった。2日目には東日本大震災被災を覚えての祈り会が、左近豊聖学院大学准教授の司式・奨励により行われ、山元克之花巻教会牧師、上竹裕子磐城教会牧師、渡邉学医師(聖ヶ丘教会員)より被災地報告がなされた。午後の自由時間は、軽井沢の地を散策しつつ、交わりを深めるときをもった。そして夜の証しと讃美の集いでは、台湾と日本から証し者が立てられ、3か国語の讃美と踊りで盛り上がった。会の冒頭では、石橋秀雄教団総会議長が藤盛勇紀総務幹事と共に登壇、「皆さんに教団の未来と希望がある」と激励の言葉を語り、また会の最後には参加教職全員のコーラスにより讃美がささげられた。3日目、聖別会では、一人ひとりが、大会で得た恵みを分かち合い、受洗の決意、伝道献身の決意など、新しい献身の決意に満ち溢れたときとなった。プログラムを締め括る派遣礼拝で、今大会チャプレンの小倉義明使徒教会牧師が「沖へ漕ぎ出せ」(ルカ5章1~11節)と題して説教。この大会を通して、主が、不信仰な者たちに網が破れるばかりの恵みを経験させてくださった今回の出来事を共に覚えた。さらに宗教改革500年に向けて沖へ漕ぎ出してゆくよう、各地の教会に仕えることを奨められ、派遣されていった。参加者一同が、日本伝道さらに世界宣教を担う器として育てられることを祈る。(松本のぞみ報)
日本伝道のために~召命と派遣~
青年プログラムでは、「日本伝道のために~召命と派遣」と題して、近藤勝彦東京神学大学学長の講演があった。以下、要旨。青年時代に父を亡くし、「死よりも確かなもの」はないのかとの問いを抱き、教会の門を叩いた。教会の交わりの中で、次第にイエス・キリストを救い主と信じるようになる。それは、キリストにより示された神の愛から、私たちを引き離すことが出来るものは何一つないという恵みの真実を受け止めることであった。この救いに与った者は、神の召しを受け止める者となる。「自分探し」、「自己実現」ということが言われるが、自分で自分を見つめても自分を知ることは出来ない。神を知り、神に知られた自分を知り、神の召しを知ることにより、私たちは、自分が何者で、何をなすべきかを知る。そして、神の召しを知らされて歩む者は、他者を羨む必要も、自分を憐れむ必要もなくなる。主の召しを受け止め、神の国を伝えるために遣わされて行くところに、健やかな歩みが生まれる。現代日本の「不道徳な社会」の背後には、召しの喪失がある。召しの喪失は、他者との競争に訴えて効率を図る社会を生み、利己主義、欲望の拡大をもたらす。対して、神の召しは、勤勉、独特な倫理を生む。神の御栄えを表すために、自己のエネルギーの浪費を抑えて行くアスケーゼ(禁欲)の生活がある。それは、信仰者の新しい交わり、召命共同体を生む。伝道は礼拝共同体を形成することに他ならない。戦時下の日本がそうであったように、まことの神を神としない時、個人も社会も無責任に、時の情勢に流されるだけになる。その性質は、福島第一原子力発電所の事故対応にも見られるように、現代も変わっていない。キリスト者が、まことの神を神とし、そのために生涯をささげ、礼拝の中で時代の声ではなく神の言葉が語られるために仕えることが大切である。それはきわめて本質的な意味で「社会的な行為」である。日本が、経済第一主義とも民族主義とも異なったレベルで生きて行くために、「天に本国を持つ者たち」がいなくてはならない。天の本国の香りがする大使館をこの世に建設すべく、御言葉と聖礼典によって礼拝と牧会に仕える牧師が起こされることが重要である。他の仕事も無意味ではないが、それが真に意味があるものと言い得るためには、根本的な意味を与える源泉との結びつき、キリストと神の国との結びつきがなければならない。それを示す礼拝がなければならないし、礼拝に仕える伝道者が必要とされている。
伝道者には、特別な能力が求められているわけではなく、神の召しに従う信仰と、その人の献身を喜ぶ人の交わりに生きるということがあれば良い。今も、生ける神が新たに人を召しておられ、伝道のタスキを受け取る人を起こしているに違いないと信じている。
(嶋田恵悟報)
神さまはありのままの私たちを
高橋貞二郎牧師による、中高生グループの講演は2回に分けて行われた。第1回目の全体テーマは「神様は、ありのままの私たちを愛してくださっている」。以下、講演をテーマ別に順を追って要約する。聖書は神様からのラブレター … イザヤ書43章4節「わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し」を挙げ、ラブレターに関する自身の体験を語りつつ、神様の愛を知るには聖書を神様からのラブレターとして読むのが大切。神様が愛されるとは、好き嫌いという感情的な意味ではなく、ありのままの私たちを大切にしてくださること … 神の愛を日本語に訳すとき、最初は仏教でいう煩悩を表す「愛」ではなく「御大切」と訳したというエピソードが、神の愛の性質を語っている。共にいて守ってくださる神様。私たちを成長させてくださる神様 … 瞬きの詩人、水野源三氏を紹介しつつ、私たちと共なる神様は、時に私たちに困難をお与えになるけれど、それは単なる困難ではなく、私たちの成長にとって神様が必要だとお考え故であり、困難を乗り越える力を神様は私たちにお与えくださり、何よりも、共にその困難を乗り越えてくださるお方だ。私たちの終わりはハッピーエンド … 神様と共なる人生は、天国という私たちの本国に向かう人生であり、それはハッピーエンドなのだ。第2回目の講演は、全体テーマを「神様は、福音を伝えるために私たちを招かれた」としてなされた。教会は、イエス・キリストを信じる者の集会、団体 … 教会とは建物としての教会を指すのではなく、神様を礼拝するために集まっている人たちの集団を指すのだ。あなたはイエス様に選ばれ、教会へ招かれた。私たちは福音を伝えるために招かれた … 一人ひとり、教会に通うようになったきっかけは様々だろうが、その背後には、神様、イエス様が一人ひとりを選び、教会へ招いているというお働きがある。一人ひとりが教会に招かれているのは、神の愛の究極のしるしであるイエス・キリストの十字架と復活を伝えるためである。最後にまとめとして、神様は、私たちを信頼して日本全国、そして世界へと送られる、と神さまによる一人ひとりの派遣を語り、講演を閉じた。日頃キリスト教主義学校という現場で中高生と深く関わる講師の講演は、中高生に分かりやすく、時にユーモアを交えながら、中高生の心に深く届いた講演であった。中高生青年大会の思い出として、2回の講演が印象的だったと語る中学生が多かったことを最後に報告させていただく。(小林信人報)