【4756号】メッセージ 山下智子(新島学園短期大学宗教主任)

心の和(なご)きもの その人は地を嗣(つ)がむ 

《マタイによる福音書11章28~30節》

心和得天真

 以前会津若松で暮らしていた時に、会津の方にとって「この間の戦争」がイラク戦争でも太平洋戦争でもなく、未だに1868年の戊辰戦争を指すことが多いことに驚かされた。戊辰戦争時、会津藩は一か月の厳しい籠城戦の末に敗れた。白虎隊の悲劇が生まれたのもこの時だ。争いや対立がいかに大きな傷跡を残すかということを思う。
 さて、かつてこの会津若松に「心和得天真(こころわすればてんしんをう)」と「心の和きものその人は地を嗣がむ」の2つの書を残した女性がいた。この地が生まれ故郷の新島八重(1845〜1932)である。彼女は会津藩砲術師範の山本家の娘として生まれ、戊辰戦争時には断髪男装で銃を持ち勇ましく戦った。
 その後同志社を設立した新島襄と結婚しクリスチャンとなり男女平等の新しい夫婦像を世に示した。襄の死後はボランティアの看護師として日清・日露戦争に従軍し女性の社会貢献の道をしめし、また茶道師範として士族の男性のたしなみだった茶道を女性に広めた。
 太平洋戦争後すぐの1946年、会津若松で「会津三人遺墨展覧会」が開催された。3人の中の1人は八重であった。会津の人々が再び敗戦を経験した時に八重に注目したことは興味深い。
 いくつか出展された八重の書の中に「心和」と「心の和きもの」も含まれている。この2つの書は内容的に重なり合うものである。「心の和きもの」はマタイによる福音書5章5節にある主イエスの言葉で新共同訳では「柔和な人々は幸いである、その人たちは地を受け継ぐ」となっている。自らも銃を持ち戦った八重が故郷の人々にこれらの言葉を残したということが彼女の信仰の証であり、故郷の人々への祈りであるように感じられる。

忍耐すること許すこと

 では八重の信仰とはどのようなものだろう。実は八重は「会津のジャンヌ・ダルク」などと呼ばれる戊辰戦争時の活躍があまりにも印象的であるため、そこばかりが注目されがちだ。八重自身も亡くなる直前までたびたび籠城時の思い出を語り、日新館童子訓を暗唱できた。日新館童子訓とは会津の武士の心を子ども向けに簡単にしたものである。そのため八重はクリスチャンにはなったが信者の心よりも最後まで武士の心で生きたと考える人もいる。しかし彼女の人生を信仰ということに注目し丁寧にたどると、次第に信者の心が育っていったことがわかる。
 八重は新島襄と1876年30歳の時に結婚し14年間夫婦として共に歩んだ。そのため襄の信仰が八重の信仰に大きな影響を与えている。例えば襄が八重に出した手紙には「何卒、武士の心ばかりにては足らす、真の信者の心を以て主と共に日々御歩み被下度奉希候」(『新島襄全集』第3巻)とある。襄から見て八重はまだまだ武士の心ばかりが大きいと感じられたのかもしれない。
 そんな八重の信仰が大きく育ったのは襄の闘病生活と死を経験したことによると思われる。もともと襄は病弱だったが、1884年スイス山中で心臓発作を起こしてから1890年に亡くなるまで、教師や牧師の仕事も思うように出来なくなり体調は悪化する一方だった。最晩年のある日、襄は八重の手を固く握り「夫婦相愛の間柄とても永き月日の間には時に意見の相違は免れがたきものなれば今さらの事ではないが、お互いに心棒して忍耐の徳を養いたいものだ。其約束の固めとして茲(ここ)に握手を求めたのだ」(『追悼集』第6巻)と語った。この頃の襄は養生をして長らえるよりは「戦地にあって一歩も引かないのが戦士の心得」とキリスト教育と福音伝道のため邁進する覚悟だった。その一方で八重は襄が無理をしないように心を鬼にして見張っていた。襄は監視をする八重に、八重は隠れて手紙を書いたりする襄にいら立ったことだろう。この時襄はたとえ意見が合わないことがあってもお互いに忍耐すべきところは忍耐し、常に思いやりを持ち、残された夫婦の時間を心穏やかに仲良く過ごしていこうと約束したかったのかもしれない。
 八重はこの襄の信仰者として夫としての言葉と行為に強く心を揺さぶられた。八重はその日以来、襄との関係ではもちろん、他の人に対しても忍耐すること許すことを隣人愛の根本にあることとして大切に守り、心安らかに毎日を過ごすよう心掛けた。だからだろうか。八重はお正月に自宅に学生を招き、会津独特のかるた会を行うのが恒例だった。それまでは会津の学生ばかり呼んでいたが、襄が亡くなる直前、初めて薩長の学生を招いた。薩長といえば戊辰戦争時に会津が敗れた相手である。この時京都から遠く離れた神奈川県・大磯で闘病中だった襄はこのことをとても喜んだ。こうして八重は武士の心よりも大きな信者の心を持った。

心の和きもの

 「心和得天真」、実は襄も生前同じ言葉を書に残している。この言葉は李白の詩の一節で、クリスチャンとしては心を和やかにすれば神様の御心を知ることができると理解すべき言葉だ。75歳の八重は襄から受け継いだこの言葉を戊辰戦争の時の悲しみや悔しさをいまだに抱え続けているだろう故郷の人に送った。それが晩年の八重の信者としての実感だったからだろう。
 八重は襄との「心和」の約束を本当に亡くなるまで守り続けた。あわせて「心の和きもの」のみ言葉もたびたび思い起こしたことだろう。1932年、八重が86歳で亡くなった年のことである。八重は病床で看護師が上掛けを不注意に取り扱った際も小言を言うのではなく穏やかに接し、なんともいえない神様の与えて下さる平和を味わっていた。その頃八重を見舞った山室軍平は、八重がどれほど神の恵みが大きいかということを次々と語り「感謝」「感謝」と繰り返す姿を強く心にとどめている。
 東日本大震災後の痛みの中で、八重の生涯が今再び注目されている。激動の時代をたくましく生き抜いた八重。襄によって神と出会ったことがその生涯をより彼女らしく力強いものにしている。主イエスは「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」と語った。わたしたちもまた信仰に生きる者の幸いを改めて確認し、主イエスの教えと生き方に学び、この時代にあって憎しみや不安に飲み込まれることなく、常に和やかな心でそれぞれの使命を誠実に全うするものでありたいと願う。

 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

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