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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4741号】平和メッセージ 風化・目を覚ましていなければ

2012年2月4日

宗教弾圧の証言

その一 「恥は我がもの、栄光は主のもの」
(第8代牧師 大住三郎)
…この間、新しい求道者も起きたが、国家は急速度に太平洋戦争へと傾斜して行き、遂に開戦となったので教勢は遅々として進まなかった。そして遂に翌年の六月二六日朝、忘れられぬ教団第六部教職検挙が起こった。
後年判明した事だが、少者が検挙から外されたのは、余りにも幼い家族が多いので控えたとの事であった。然し厳しい取り調べは二十回近くも時の特高に呼び出しを受け、そのたびに家内と目くばせで、今日は収監され帰宅不可かもしれぬから後事を頼むとの無言の挨拶をして出かけたものであった。
やがて教会は解散を命ぜられ教籍も剥奪された。そして人的資源不足の折故、就職せよとの事であった処、幸い県産連の菜園支所に採用された…。
戦時中教会堂は其の筋の命令で倉庫として使用されたが、これは徴用に準ずるものだったのか。もちろん無料であったのみか何時疎開の為撤去命令が下るのかわからぬ状態であった。
かくて四年後敗戦となり占領軍により、思想、信仰の自由は認められるようになったので一九四五年(昭和二十)十二月二五日のクリスマスを期し、…五人で教会の再発足をしたのであった。
(1985年発行当教会70周年記念誌より)

その二 「弾圧の思い出」  猪苗代ミチ子(大住牧師長女)
…父の埋葬式に集まりました兄弟達から聞きました事などを合わせまして、…今日あるのは、いろいろな方々のお支えがあったからだと言うことを述べます。
いつとは月日までは言えませんが、朝早くだったと思います。会堂の玄関から見たことの無い男の人が二人訪ねて参りまして手帳を出して何やら父と話しておりました。母にお茶を出すように言われましたので行きまして挨拶をしましたら笑顔で挨拶を返してくれました。けれどいつものお客様と違って聖書を読んだりお祈りをしている様子が無いので変だなと思いました。
その日、学校から帰りますと母が目を真っ赤にして末の子の世話をしておりました。母の泣き顔など一度も見たことがなかったものですから私は驚いて「どうしたの」と尋ねますと母は「教会が大変だ。父さんが帰ってこないかも知れない、皆でお祈りしましょう。」と答えたことを覚えております。
不安な心で床について朝になったら父がおりましたので子ども達は皆で喜び合った事でした。…特高の人達は度々きました。父が外出したり、獄に入れられた牧師さんの家族の慰問のために北海道に行ったときなども尾行していたそうです。
…教会を解散させられた時、父母は、使徒言行録四章二九節の「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」とどんなにかこの言葉を念じていた事であろうと思わされます。平和な時代になって牧師として講壇に立って心置きなくご用に当たる事が出来、一九九一年八月十七日に平安の中に召されて参りました。…。
(1995年発行当教会80年記念誌より)

弾圧を覚えて

右記の宗教弾圧は1942(昭和17)年6月26日未明に始まった、国家が治安維持法をかざして行い、塗炭の苦しみを経験した地方教会の牧師とその家族の証言です。
教団内の「ホーリネスの群」の諸教会は、同じような、いやそれ以上の苦しみを経験してきました。記念誌には、教団から教師籍が除かれたことに対する無念さは記されていませんが、盛岡市内の教団諸教会が信徒の方々をその礼拝に暖かく迎えてくださったからだろうと推測しています。
この出来事から、今年で丁度70年になります。時の経過は、時として残酷でどんなに大きなしかも重大なことでも忘却させてしまいがちです。弾圧・迫害の経験を風化させてはならないと、群では、6月の最終主日に「弾圧記念礼拝」を持つよう呼び掛けています。
私は舘坂橋教会に赴任して15年目を迎えていますが、諸資料に目を通したり、証言に耳を傾けるなかで意図的、継続的にこれに取り組むようになりました。現在では、私がキリスト教主義大学で「キリスト教学」の非常勤講師をさせて頂いていることもあり、その礼拝に大学生を招いています。そして、レポートを提出して貰っています。
経験者の証言・弾圧に関わる資料・牧師のコメント等、工夫を凝らしながらの礼拝を行っています。数十年も経って証言者も少なくなる中、これらのことが陳腐なもの・関係ないものと受け止められないかとの心配もありました。
実際は、若者のレポートを見ますと、「こんなことがあったのか。知らなかった。あの困難を乗り越えた人たちの生き方に感動した。国のあり方に目を止めなくては」などの言葉があります。想像以上に若者はこの事実に真正面から向き合っているなと知らされ、ますますこれからもこの事実を伝え、見張り役の使命を全うしたいと意を強くしています。

東日本大震災

2011年3月11日午後2時46分。
忘れもしません。
大地震・大津波そして原子力発電所大事故。この結果は今報道されていることより、もっと深刻な出来事を惹起すると思っています。
前記大学の1割近くが沿岸出身です。94名が何らかの形で被災しているにもかかわらず学業に励んでいます。震災に対するある問いに、一人の女子学生は、「私は、今回の震災で母と家を亡くしました。…」と記しました。切ない思いで一杯です。
そんな中、この震災が過去のことのように考えられている事実にふれる時があります。いかにも寂しい限りですが、すでにここに風化していく危険性を感じます。
原発事故の後、脱原発を目指して進むべきだと願っている実業家が、「あの大事故を忘れてしまったのか」と大声で叫びました。当然だと思います。

イエスの覚醒

主は、終末への備えを呼び掛けられました。
「心が鈍くならないように注意しなさい」「いつも目を覚まして祈りなさい」と。時代の問題性と向き合うための呼び掛けとも言えます。
主は、「夜は出て行って『オリーブ畑』と呼ばれる山で過ごされた」とそのお手本を示しておられます。
願わくは、私たちの歩みも祈りの中で、父なる神のみこころを伺い、確信と力そして覚醒を頂き、行動へと導かれますように。
(村上義治 舘坂橋教会牧師)

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