2011年8月7日に創立60周年を迎えた日本盲人キリスト教伝道協議会(略称:盲伝)の記念礼拝・感謝会が、11月29日午後2時から、戸山サンライズ(全国身体障害者総合福祉センター)において行われた。100名近い出席者が与えられた。
第一部・礼拝では、大村栄牧師(日本基督教団阿佐ヶ谷教会)が、ルカによる福音書13章1~9節から、「わすれない」という題で説教した。
大村牧師の父、大村善永牧師は1975年から4年間、盲伝の議長を務めた。その父に連れられて、子供のころ盲伝の集会、修養会などにも参加していたこと、会場に懐かしい顔をみることができて嬉しく思う、と、盲伝との深い関わりが明らかにされた。そして、話を進める中で、最近夫を亡くした、教会のある夫人の言葉が紹介された。「わたしは未亡人(夫は死んだのに未だに死なない人)ではなく、未忘人(未だ夫のことを忘れない人)でありたい」。
そこから、先に召された人たちのことを忘れない。60年の盲伝の歴史を忘れないで次へ伝えていく。さらに、東日本大震災で亡くなった人々の死の意味を心に刻んで忘れない。それが残された者たちの責任であると思うと、大村牧師は述べた。
聖書箇所から、災害・事故で死んだ人々が、「ほかのどの人々よりも罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」との、2回繰り返される主イエスの言葉を取り上げて、次のように語った。
神を忘れた人類全体がこの出来事の前に、悔い改めをもって、あらためて自らを振り返らなければならないと思う。
後半のたとえ話に登場する園丁に、主イエス・キリストのお姿が示されている。私たちのために必死に神に執り成しをしてくださるお姿である。それだけでなく、主イエスは私たちを贖う死を遂げてくださった。このキリストによって与えられている、赦されて生きる希望を忘れてはならない。盲伝の歩みに貢献した人々のことを忘れないことは大切だが、まず、この神の恵みを忘れない者たちでありたいと、大村牧師は結んだ。
第2部の感謝会は、盲伝10周年のときに、高木正治郎氏が作詞し、鳥居忠五郎氏が作曲した「盲人伝道の歌」で始まった。
盲伝議長挨拶において、日高馨輔議長は、決して平坦な道ではなかった60年の歩みの中、これまで支援及び協力をしてもらったすべての人々に対して謝意を表した。そして、この60年の歴史に立ち、より新しい盲伝を志向しつつもイエス・キリストに従い、さらに歩みを進めていく決意であると述べた。
次に、来賓挨拶が続いた。要旨は次のとおり。
点字聖書の出版と普及を、聖書協会と盲伝が協力して進めてきた。点字聖書は通常の聖書発行の約30倍の製作費がかかるにもかかわらず、すべて一冊100円で頒布している。この価格の差をなくすために、聖書協会募金部は、全国に点字聖書製作支援献金を呼びかけ、毎年温かい支援が全国各地から寄せられている。(菊地義弘氏)
盲人の方々を誘導する手引きのボランティアを組織する働きを任されたことがある。その過程で、実は助けているつもりが、実は助けられていたという体験をし、晴眼者がとうてい及ばない鋭い感覚をもつ盲人の人たちから多くのことを教えていただいた。(有澤年氏)
視覚障がいと、女性であることとが重なることは、開発途上国では、想像を絶する過酷な状況をもたらす。しかし、それにもかかわらず、inclusive教育という世界の潮流の中で、その状況が見落とされている。その中で、盲伝が、アジアへ活動の輪を広げ、特にバングラデシュにおいて、視覚障がいをもつ女性たちの自立への支援活動が、並々ならない困難の中、粘り強く続けられていることに対して、心からの尊敬と声援を送りたい。(中澤惠江氏)
千年に一度の苦しみを与えることを、神様はどうしてお許しになったのだろうと考えているうちに、苦しみを与えたのだから、神様は次に千年に一度の祝福をくださるに違いないと思うようになった。それは具体的には何かというと、魂が渇き、人間性を欠いているこの現代の日本に、愛されている喜びが満たされることである。そのためにはまず、障がいを負っている人々が、主イエス・キリストの福音に満たされて喜びにあふれなければならない。しかし、教会には今そのための霊的エネルギーが不足している。神様が盲伝を豊かに用いて、これから先日本のキリスト教会を、日本を、再生する霊的エネルギーを生まれさせてくださることを願っている。(大塚野百合氏)
さらに、祝電・祝辞披露、出席者全員による自己紹介があり、多くの思い出と共に、盲伝への感謝と期待が述べられた。その中で、大村栄牧師のように、親が盲伝に関わる中で、自らも関わりを持つようになった盲伝2世という言葉が数人から聞かれた。今後も盲伝の歩みが続くことを期待させる神様の恵みであろう。
(秋葉恭子報)
◎ 日本盲人キリスト教伝道協議会(盲伝)とは
盲伝は、視覚障害の有無に関わらず、信徒が手をたずさえ、キリスト教各派が協力して生まれた超教派の総合的な視覚障害者伝道団体である。1948年、ヘレン・ケラー女史が総裁を務めていたアメリカの視覚障害者伝道団体ジョン・ミルトン協会の支援によって、1951年8月に、日本盲人伝道協議会が生まれた。
1978年に同協会からの支援は終了し、その後は自立の道を歩んでいる。創立以来、教派を超えて、多くの人々に支えられ、さまざまな使命と役割とを神様から与えられて、活動を続けている。
(盲伝パンフレットから抜粋)