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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4716号】平和メッセージ

2011年2月5日

ルカによる福音書12章49~53節

血肉の絆を超える絆がある 岡本知之

 

火 と 洗 礼

「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」と主は言われる。キリストの到来を平和の到来と考えたいわれわれを、この言葉は十分に狼狽させる。さて、ここに言われる火とは一体何のことか。

この言葉の直後に「その火が燃えていたら」と言うのであるから、イエスが来られたとき、この燃えていてほしいと願った火は燃えていなかったことになる。だから、主イエスは洗礼を受けなければならないと言う。この「洗礼」が何を指すかについては色々議論があるのであるが、私としては大方の理解と同じく、これが主の十字架を指すことはほぼ間違いのないところであると思う。

とすれば、イエスが燃えていてほしいと願った火とは、主の十字架によってのみ担われ得るところの、人々の罪を清めるための火であったと言えるのではあるまいか。主の十字架が、この火の役割を果たすことになるのである。いかなる意味においてか。血肉の運命共同体たる「家族」に、「分裂をもたらす」ことにおいてである。

 

宗教か信仰か

唐突なようであるが、私たちは「宗教者」ではない。「キリスト者」である。「宗教」は概念であるが「キリスト」は人格である。

「概念」は操作の対象であるが「人格」は出会いの対象である。

そして、この主キリストとの出会いを、われわれは「信仰」と呼ぶのである。ここで「信仰」とは、そのギリシャ語の原意のとおり、人格と人格との出会いにおける真実そのものに他ならない。

つまり、今日流行の「宗教多元主義」という概念は、その本質において、この「信仰」とは全く関係のない概念なのである。この両者を置換可能な事象であると考えるのは、完全なカテゴリー・エラーであり、キリスト信仰を宗教と同義とすることは、直ちに信仰の捨象を意味するのである。とすれば、信仰を宗教と同義と思い込んだ教会に残されるのは人間主体の宗教集団のみであろう。

今日の神学的状況における最大の問題は、ここに述べた「信仰と宗教の混同」と言うことであり、言葉を換えて言えば「神学の宗教学化と信仰の宗教化」と言うことである。

人類皆兄弟、諸宗教皆同じという発想は、実は人間中心主義に基づく血肉的結合の裏返しに過ぎないことを、われわれは知らねばならない。

 

キリストの到来の結果としての分裂

イエスと出会い、このイエスをキリストと知り、告白すること。そこから、家族内の分裂が始まると主は言われた。つまり「イエスとは誰か」、その判断を巡って運命共同体である筈の「家族」が、分裂しかつ対立する。

しかし、考えてみればこれは当然のことであり、全く以て意外なことではない。イエスをキリストと言うか、それとも唯の人と言うか、「家族」という血肉の共同体であろうとも、この理解が違えば、そこに「命の共有」はない。なぜならイエスをキリストとする主への信託(信仰=ピスティス)は、自己の人格的真実をかけた決断であるからである。主の言葉は、その清明な事実を摘示しているのである。

代々の教会は、主が十字架の上で息絶えられたとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けたことを、正しく「宗教の終焉」と理解し、主の復活を「新しい命の関係の始まり」と、これもまた正しく理解してきたのではなかったか。

ここで信仰とは、私たちの主キリストに対する一方的な信託のみを意味する言葉ではなく、主キリストの、私たちに対する十字架の贖いの死と復活における真実に根拠を持つところの、救いの出来事なのである。

 

違いを超えうるもの

しかし以上のことは、決してわれわれを絶望させるために語られた言葉ではない。子から親への家庭内暴力や、親から子への虐待、さらには夫婦間の殺し合いの頻発は、今日における家族の血肉的結合の限界とその破綻を、われわれに突きつけるものであろう。

その現実の中に、主は血肉の絆を超える絆があることを提示されるのである。十字架に死に、人に命を与えるために、苦しみの洗礼を主は受け給うた。まさに「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、ご自分と和解させられた」(コロサイ11920)のである。

主が地に投げ入れられる火によって、人間中心主義を滅ぼされ、キリストの十字架によって、神との和解に招かれた者がその恵みに応えるとき、人と人とを結ぶ真の絆が結び合わされ、「地に平和が、御心に適う人に」(ルカ214)与えられるのである。

(西宮教会牧師、教団総会副議長)

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