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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4740号】新春メッセージ それでもわたしは断固たる告白へ!

2012年1月21日

それでもあなたは

2012年新しい年の歩みが始まった。
わたしたちは、年の初めに、新しい一日の始めに、全ての業の始めに「わたしたちの助けは天地を造られた主の御名にある」(詩編124編8節)との御言葉が響きわたりその確信の中で歩みだすことが出来る。
3・11・246
この時を忘れることが出来ない。
あの巨大地震とその地震がもたらした凄まじい津波の破壊と二次災害としての福島原発の事故は、日本社会を揺り動かし続けている。
地震直後、被災地の教会を問安した後に教団議長声明を出した。その冒頭に掲げた御言葉が、詩編124編8節の御言葉である。
大船渡に住む越谷教会の信徒から津波の直後に電話をもらった。「神のなさることは凄まじい」と、すぐに「それでは何故、教会に行っていますか」と衝撃を受けている信徒に言ってしまった。
「神のなさることは凄まじい」すべては主の主権のもとにある。この信仰は正しい。しかし、この凄まじい破壊の現実の中で神を信じることができるのかと問われる。
写真家藤原新也さんがアエラの4月11日に東日本大災害の写真と言葉を記している。
津波の凄まじい破壊の写真に付されている言葉は「全土消滅、昭和消滅、神様消滅、独立独歩」とあり、
この地獄図の中で「人間の歴史の中で築かれた神の存在を今、疑う」と記し、「神という存在はなかった、ただそれだけのことだ」と結論づける。このような、神が否定される現実の中で、わたしたちの信仰が揺り動かされる。
この地獄図の中で「それでもあなたは神を信じますか」と問われる。この問いは旧約聖書の歴史、二千年の教会の歴史の中で、神を信じる者に常に問い続けられてきた問いである。
戦争と災害、すさまじい破壊と、破壊がもたらす悲劇を経験した信仰者が「それでも神を信じます」という断固たる確信とその信仰の告白が、詩編124編8節でなされている。

驕り高ぶる大水

わたしたちの教会で「もし主が味方でなかったら、とっくにわたしは死んでいました」という証しを聞くことがある。
124編の詩は、素朴な信仰が歌われ感動させられる。
「主がわたしたちの味方でなかったなら…そのとき、わたしたちは生きながら敵意の炎に呑み込まれていたであろう」(詩編124編1節~3節)
イスラエルの歴史は常に様々な危機に翻弄される歴史であった。
大国の圧倒的軍事力によって国が脅かされ、命が脅かされる危機の連続の中にある歴史だ。それ故「もし、主が味方でなかったなら…」と告白される。
さらに「主が味方でなかったなら」「大水がわたしたちを押し流し激流がわたしたちを越えて行ったであろう…驕り高ぶる大水が」(詩編124編4節、5節)と歌われる。
今、この信仰が問われる衝撃が信仰者を襲う。
「大水」に押し流されてしまったのだ。
「驕り高ぶる大水」が沢山の命を飲みつくしてしまった。大国の軍事力によって凄まじい破壊がなされ多くの命が呑み込まれイスラエルの国は滅ぼされてしまった。
多くのものがバビロン捕囚という苦難の道を歩まなければならなかった。
この時、「神の存在」が問われ、信仰が問われる。
「それでも、あなたは神を信じますか」
凄まじい津波の破壊を地元の報道機関は「さながら戦場のよう」と伝えた。
海に流れた重油と瓦礫によって火災が発生し火の津波が町を襲う、その跡はまさに「戦場」のようだと報道された。
イスラエルの歴史は、このような危機の連続の中で、「神の存在」が問われる歴史だ。
この現実の中で、この苦難の中で、イスラエルの信仰者は「それでも、わたしは 神を信じます」との、断固たる告白へと導かれる。
「主をたたえよ。主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。仕掛けられた網から逃れる鳥のようにわたしたちの魂は逃れ出た」(詩編124編6節、7節)と歌われる。
バビロン捕囚という苦難の中で、絶望の底で神に深く出会うという経験をした信仰者は断固たる告白(8節)に導かれる。

主の死を見つめる

東日本大震災と二次災害の福島原発の事故によって日本の国は揺り動かされ、また日本の教会も揺り動かされている。
凄まじい津波の破壊の只中に立って、「まさに戦場のよう」と報道された地に立ち、わたしの主の十字架の言葉を聞き、主の死を見続けてきた。
「『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。』これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』」(マルコ福音書15章34節)
わたしは、悲劇の地に立って、主イエスの十字架の言葉を聞き、主の死を見続けてきた。
「イエスは大声を出して息を引き取られた。すると神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(同37節、38節)
三位一体の子なる神の死である。人類の歴史の中で、神は死んだといわれる悲劇が、「驕り高ぶる大水」に呑み込まれる絶望を思い知る歴史が、繰り返されてきた。
まさに、この悲劇、絶望を三位一体の子なる神が、担ってくださり、十字架に死んでくださり、墓に納められた。
この墓から神の創造の業が強烈に示される、神は絶望の中に働く神であることが示される。主イエス・キリストの死を見つめ続ける時、復活の希望に導かれ、「わたしたちの助けは天地を造られた主の御名にある」(詩編124編8節)との告白へと導かれる。
東日本大震災への取り組みがこの詩編の言葉の確信から始められ、やがて断固たる確信に導かれることを信じて、その対策をなし、教団の歩み、教会の歩みをなしていきたい。
(教団総会議長・
越谷教会牧師)

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