1939年、東京生まれ。碑文谷教会員、全国教会婦人会連合文書委員。
相馬さんが教会につながったきっかけは、お母さんである。父がニューギニアで戦死した。母は夫の戦死をなかなか受け入れられなかった。母に生きる道を開いたのは、クリスチャンであった母の妹、相馬さんの叔母さんが母を教会に誘ったことにある。最初、教会の敷居は高く教会員宅で開かれていた家庭集会に出席した。牧師の語る言葉に励まされ、父を失った娘3人を連れ碑文谷教会の礼拝に出席するようになった。相馬さんが小学校3年生のときである。
5年生のとき、母が受洗するのに連れられて相馬さんも洗礼を受けた。受洗の自覚も、信仰告白の志も無かった幼児洗礼であった。相馬さんが改めて信仰を自らに問うたのは高校2年生のとき。当時、教会が越谷教会と合同で開催していた夏のキャンプで思いがけず、これまでの教会とのつながりを証ししたことが背を押し、その年のクリスマスに信仰告白をした。それ以来ずっとこの教会の食卓から聖餐に与ってきた。
大学卒業後、国語の教師としてクリスチャンスクールに奉職した。小学校以来すべて公立学校で育ってきた相馬さんにとって、キリスト教学校での教育は新鮮で、信仰が育てられた教会との繋がりを覚える仕事だった。子育てのため一旦は離職したが、教師としての楽しさは忘れられず、講師として再び教壇に立った。
短歌を嗜んだ母譲りの、本好きの、国語教師としての言葉への感覚は、現在の全国教会婦人会連合文書委員の働きにも生かされている。毎月発行される『教会婦人』の、おもに校正を担っている。また一委員として各地に取材にも赴く。今回の震災取材では婦人教職が牧する福島県にある教会を訪ねた。
相馬さんは「波風のない、取り立てて特別な教会生活ではありませんが」と言うが、60余年にわたって一つの教会で礼拝生活を続けてこられたことにこそ大きな恵みがある。