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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4727号】メッセージ 土曜日のキリスト 大木英夫

2011年7月16日

「賽の河原」を越えて行く橋

「何を見に出て行ったのか」(マタイ11・7)。いま、現代の日本全土にこの言葉が響き渡る。今までは救いを必要としない時代であったのか。人間の実相が隠蔽されていたのか。軽い、生き方が軽い。何もかも軽い。そこに突然、「地の基ふるい動く」、眼の前に広がるのはなんという崩壊であることか。なんと戦後日本は軽く壊れやすかったことか。仏教学者山折哲雄氏は、故郷東北を訪ね、荒涼惨憺たるむき出しの光景に圧倒されてこう言った、「賽の河原だ!」。それでは、ただ無常を受けいれ耐えるのみか。「あきらめ」が所詮大事ということか。

「何を見に出て行ったのか」

「賽の河原」という言葉が、突然思い出させた。  ある年わたしはスイスのバーゼルに居た、バーゼル美術館で、ルターと同時代の画家ホルバインの描いた『墓の中に横たわるキリスト』がある、それを見に「出て行った」。二度も見に行き、この絵の前に二度も立った。はじめは、とても直視できなかった。この絵の前にドストエフスキーも立った、そして彼はこうつぶやいたという、「これを見る人は信仰をなくす」と。しかし、二度目見たとき、わたしはそう思えなかった。むしろみずからの信仰の虚弱がさばかれるようにさえ感じた。日本プロテスタントの中にある問題を突かれる思いであった。ルターは「義にして同時に罪人」と言った、その「同時」が、何と誤解され誤用されてきたかということ、義と罪とは渾然空回りを起こして「大胆に」そして「平気で」罪を犯す、ミュンツアーが「甘いキリスト」と批判した、それだ。しかしこの絵にはその「甘さ」はない、「同時」ではない、深い陰府の中に刻々たる一日、その一日の中にキリストが横たわる。何か神に迫られるように感じた。ホルバインは宗教改革時代の直中で、なぜこのようなキリストを描いたのか。たしかに使徒信条は、十字架のキリストが「死にて葬られ陰府に降り」とはっきり言った。これはその十字架の金曜日と復活の日曜日の間、その土曜日のキリストを描いたのだ。しかしそれは金曜日から日曜日へ深い陰府に架けられた橋か、全身を硬直させ、上を見上げ、口を開いて横たわる!死を生きている! このキリストが「賽の河原」を越えて行く橋なのだ。仏教の人間観は「生老病死」の永劫回帰、その円環から抜け出られない。しかし、キリストは「生と死と復活」、死で終わらない、死んで生きる! 永劫回帰の円環を開いて直進、全く新しい前人未踏の人生観が打ち開かれている! その未来へと運ぶ彼岸への橋をホルバインはこの土曜日のキリストに見たのか。あれからすでに3カ月経った。(これを6月11日に書いている)

この道この橋が、動く!

今は亡き親友、東神大同僚であった左近淑教授は、旧約聖書を「崩壊期の書」だと言ったことがあった。「賽の河原」、それはまさに崩壊期の預言者エゼキエルに神が開示した「枯れ骨の谷」(37・1~14)の光景ではないか。しかし、神は、エ、ヨコの「心柱」によって新築されねばならないのではないか。「賽の河原」から向こうへと渡す「土曜日のキリスト」=「ヨコの心柱」、この「救済史」的心柱をもって再構築されねばならない。「あなたがたにはこの世ではなやみがある、しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ《口語訳》16・33)、「勇気」とは向こうへ行く力ではないか。いまわれわれはおびただしい死者と共に居る。しかし預言者イザヤは神のことばを伝える、「わたしはあなたたちをつくった。わたしが担い、救い出す」(46・4)、そして使徒パウロは「わが生くるはキリスト、死もまた益」(ピリピ1・21文語訳)を知った。バニヤンはキリスト者の人生を『天路歴程』(Pilgrims Pゼキエルに対してこう問うた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか」。今われわれ日本の伝道者の耳に来るのはこの言葉、ものすごく低音で重く響くようなこれは、神の問いかけの言葉ではないか。預言者エゼキエルはこう答えた。そう答えるしかなかった。「主なる神よ、あなたのみがご存じです」。では、「主なる神」はどう答えられたか。「見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る」。「お前たち」? あの谷の「枯れ骨」とは、あの「賽の河原」とはこのわたしたち? 他人ごと他所ごとではない、たしかに昔も今も永遠にいましたもう神が、わたしたちに問われている、「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか」。この重い、重すぎる、そういう問い、エゼキエルは「主よ、どうしたらこのわたしたちは生き返ることができるでしょうか」と答えることしかできなかった。この「賽の河原」のような日本は、いや、わたしたちは、どうしたら生き返ることができるのか。「今は夜の何時ですか」。「夜回りに聞け!」。だれかが光を消した。それは誰か。「夜回りに聞け!」。「わたしたち」か、と。だが、「陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたがそこにいます」(詩篇139・8)と詩人は言う。「わたしは言う。『闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す』」(同11節)。「陰府に横たわるイエス」は、福音書で「わたしは道である」と言われたお方、その「道」がここにある。「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(イザヤ46・4b)、創造者なる神が救済者となる到来、この道この橋が、動く!

今、日本は、土曜日にいる

戦後、哲学者務台理作から聞いた今なお忘れられない言葉がある。ヘーゲルの「有→無→成」の弁証法はキリストの「生→死→復活」から来ると解説したのだ。「生老病死」ではない、死で終わらない、-自転車が止まっては倒れる、その倒す力を媒介として前へ動く、動いて立つように、その「立つ」は立つは立つでも「立ち」が違う、否定媒介!人生は仏教的「生老病死」の永遠回帰ではない、その永遠に閉ざされた円環が開かれて、よみがえりへ動く。ペンテコステへと動く。土曜日のイエスの死の中にある動き、それが、人間に究極の転換を惹き起こす動きではないか。洗礼!  それは古い人から新しい人への転回いや転向ではないか。「陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたがそこにいます」、十字架から復活への道が動く、そしてあの聖霊降臨日へと向こう岸へと架けられた橋のように、鋼鉄のように緊張して身を横たえている土曜日のイエスの中に動きがある。運びがある。ホルバインの描くその口は、「渡って行け、そして甦れ、そして聖霊を受けよ!」と語るように開いている。いま、日本は、そういう土曜日にいるのだ。向こう岸に渡る、主との「コイノーニア!」、そのとき「霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった」、これが預言であった。

此岸を彼岸へと動かす力

この大震災の直前まで、東京下町に建設中の世界一高いスカイ・ツリー塔完成間近で見物の人々で賑わった。その地の出身王貞治氏は、「このあたり一帯は敗戦の年の 3・10~11 の大空襲で焼野原になったところだ」と戒めた。あの関東大震災後軍国主義的に再建された日本はこうして潰滅し、これまた「賽の河原」の景を呈した。今そこに建つ「スカイ・ツリー」は古代の五重塔の「心柱(シンバシラ)」の工法を応用した。日本にタテの心柱工法で新バベルの塔を造ることではない。ブリューゲルは『バベルの塔』の崩壊の絵を描いた。いま人間世界に起こっていることは、「ヒト」はヒューマナイズ、「グローブ」はグローバライズ、新しい人間新しい世界への転化ではないか。人間、世界、文明はその新しい建築にヨコの心柱をもたねばならない。人生史、世界史、グローバリゼイションは、ヨコの「心柱」によって新築されねばならないのではないか。「賽の河原」から向こうへと渡す「土曜日のキリスト」=「ヨコの心柱」、この「救済史」的心柱をもって再構築されねばならない。「あなたがたにはこの世ではなやみがある、しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ《口語訳》16・33)、「勇気」とは向こうへ行く力ではないか。いまわれわれはおびただしい死者と共に居る。しかし預言者イザヤは神のことばを伝える、「わたしはあなたたちをつくった。わたしが担い、救い出す」(46・4)、そして使徒パウロは「わが生くるはキリスト、死もまた益」(ピリピ1・21文語訳)を知った。バニヤンはキリスト者の人生を『天路歴程』(Pilgrims Progress )いみじくも「旅する者たちの前進」と呼ぶ。トレルチは「彼岸が此岸の力である」と言う。「わたしは道である」、その道に動きがある。此岸を彼岸へと動かす力が感じられる。人生史、世界史の深く内面に横たわるあの土曜日のイエスには「ヨコの心柱」の啓示があるのではないか。「霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった」。グローバリゼイション! 世界は教会になりたがっている。だから教会は教会にならねばならない。ねがわくはわが教団にこの預言の成就あらんことを。

(聖学院大学大学院長)

ハンス・ホルバイン[1497~1543]アウクスブルク生まれ。ドイツ・ルネサンス最後期の代表的画家で、ヨーロッパ絵画史上最高の肖像画家の一人と言われる。トマス・モアやヘンリー8世の肖像画がある。他の代表作に『聖母子と市長マイヤーの家族』『死の舞踏』絵は、バーゼル市美術館所蔵、ドストエフスキーにも深い感銘を与えた。

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