伝道推進室より応援した教会・伝道所
母の介護を通して
君津伝道所牧師 髙野 茂
結婚して奥沢教会の担任教師の任期が終わり、一時横浜に賃貸マンションを借りていた頃のこと、次の任地が決まるまでの間に一人暮らしをしていた私の母に認知症を疑う行動が目立つようになりました。この報せは母が所属する洗足教会牧師からのもので、千葉県君津に住所を定めたのも、木更津にあった別宅を処分し2000年にJR君津駅の駅前に一軒家を購入して母を呼び寄せて同居せざるを得なかったことが大きかったと思います。1997年12月にアクアラインが開通し、木更津駅から羽田空港への高速バスの運行が開始されており、区役所へも通勤可能なことも決断を後押ししました。
当時の君津市は、日本製鉄の君津製鉄所が進出して、下請け企業を多数従えた企業城下町の様相を呈しており、人口も9万人を超えていました。幸いなことに木更津教会のご了解を得て一家で出席させていただくことになり、これも母との教会生活を維持したいためでしたが、半年が過ぎた頃のことです。聖日礼拝を終えて巡回バスを下車する際にステップから転落し、右大腿骨を骨折・手術で3か月ほど入院することになりました。後に、母はリハビリを経て帰宅できたものの、要介護となり、当時の教会は2階が礼拝室のため階段が介助しても登れず出席も叶わなくなったため、区役所勤務を続けながらも、自宅での礼拝に切り替えることで図らずも開拓伝道の道が開かれました。そこで東京都品川区にあった実家を売却し、母の隠居所に用意した土地の上に介護を兼ねた建物を建て、木更津教会の了承を得て君津伝道所として2003年9月23日に開所式が行われました。これ以降、内房牧師会に参加させて頂いたり、超教派の牧師親睦会や千葉ライフラインに参加して講演会を開催しました。しかし、その間も母の認知症はアルツハイマー型で、徐々に進行して行き、2007年にはデイサービスのお泊りの朝にベッドから転倒し、今度は左大腿骨を骨折して手術し2か月入院することになります。
2008年は、横浜指路教会会員の妻の母が心臓不整脈で入院し、ペースメーカー埋込手術となり、以後翌2009年には大腸癌による閉塞で入院し、直腸切除ストーマ術で介助が必要になりました。合わせてアルツハイマー型認知症と診断され、横浜と君津の間で姉妹で交互に介護する生活となったのです。私はようやく介護離職を決断して区役所時代に障害者施設の改修や特別養護老人ホームの開設準備や介護保険に携わった経験を生かそうと、介護事業を立ち上げることになり、私の母と妻の母も利用者として加わり、君津伝道所の1階を利用してミニデイサービスを2010年に開設することになりました。勿論、日曜日には伝道所での礼拝を続けることができました。
サービス付き高齢者向け住宅を2014年4月1日に開設する運びとなり、気が付くと君津に来て既に25年が過ぎていました。導かれるままに君津に来て想うことは、母の介護を通しこの地に根を張ることでき、宣教の地となったことです。