教会に赴任して16年目にして初めて、自ら牧師館の花壇に花を植えた。荒れ放題の状況を見かねて整えてくださっていた教会員は、「どういう風の吹き回しか」と首を傾げている。
かつて、神学校で寮生活をしていた頃、あるクラスメイトが花壇に花を植え始めたことがあった。それを見て、いたく感激していたのは、神学校の中で唯一人キリスト者ではなかった用務員の方だった。曰く「長くこの学校に勤めて来て、『教育』の内の『教える』という側面は見て来たが、初めて『育む』という側面を見た」と。
パウロは、各々が敬う指導者のもとに派閥をつくっていた教会の人々に向けて「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」(コリ一3・6)と語った。教会において「育てる」とは即ち、神の働きを受け止め、待ちつつ励むことではないだろうか。思い起こせば、教会が誕生したのは、「高い所からの力に覆われる」のを待ち、一つになって祈っていた弟子たちからだった。
花壇に咲いた花を見ながら、「これまで『教える』ことに比重を置きすぎていたかもしれない」と自らを省みつつ、「花の日」を過ごした。