神学校時代、夏期伝道で派遣されたのは能登。「能登は優しや土までも」と言われるあの土地が忘れられず、新婚旅行も能登。夏期伝道でのある夜、七尾教会の釜土達雄牧師が「藤盛君、闇を見たことあるか?」と、私を車に乗せて連れ出した。夜の山中で車は停められた。「外に出てみな」。私が外に出ると、釜土牧師は車のライトを消した。「何か見えるか?」「いえ、何も見えません」。自分の手さえ見えない漆黒の闇を初めて経験した。「ちょっと歩いてみな」「いや、無理です」。暗闇の山道。道の端は崖じゃなかったか。動くこともできない私に向かって釜土牧師の声。「藤盛、上を見てみろ、上」。
真っ暗闇だと思っていたその場所は、真上には見事な天の川が架かっていた。これが「ミルキーウェイ」か。闇のキャンバスに星々がこぼされたように煌めく。闇どころか、光が満ちている。もう一度、自分の手を見てみると、ぼんやりと見えている。目が慣れてくると少しずつ周囲の木々も見えてきた。実は全くの闇ではなかったのだ。
「わたしは言う。『闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す』」(詩編139・11)。
私たちの神は、「存在していないものを呼び出して存在させる神」。「闇から光」「失望から希望」「死から命」へと呼び出してくださる神だ。
(教団総会副議長 藤盛勇紀)