兄弟姉妹とされた恵み
開会礼拝、逝去者記念礼拝、朝の祈り
総会では、三日間通して、礼拝を持って日程がはじめられた。
開会礼拝では、平野克己牧師(代田教会)が詩編133編1節/マタイによる福音書9章9〜13節から「罪人の集い・あわれみの主」と題して説教した。
「総会に集い、『共に座っている』者たちは、主イエスが招き、遣わされる兄弟姉妹。総会が終わる時に『なんという恵み、なんという喜び』と語って遣わされたい。主イエスに呼ばれ、新しい命に生き始めたマタイのもとに罪人たちが集まり、主イエスを囲み集いが始まる。弟子たちを問い詰めるファリサイ派の人々に主イエスは『わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである』と語った。私たちの教会の一つの問題は、主イエスを必要とする人が少なくなっていることかもしれない。正しいことは大切だが、主の憐みが分からなければ教会とは呼べない。主イエスは、この箇所の後、『新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ』と語っている」。
二日目は逝去者記念礼拝を持ってはじめられた。小林よう子牧師(八戸小中野教会)がヨハネの手紙一4章7〜21節から「祝福された命」と題して説教した。
「今年の7月に90歳の信徒が召された。22歳で洗礼を受け、教会の幼稚園で働いた後、27歳で結婚したが、結婚生活は過酷であった。夫は威圧的で、些細な冗談も言えない空気があった。しかし、家庭生活が悲惨であった頃にも教会に通い、婦人会で活躍した。家庭の中で辛く悲しいことがあっても、彼女が生きるのを投げ出さなかったのは、自分が神に愛されていることを信じることができたから。90年の彼女の人生は祝福された命であった。信仰を持って生きることは、自分に与えられた命が祝福された命であることを知ること。この4年間に召された人々の人生を支え、神の愛を伝えて来た教会の働きがこれからも受け継がれて行くことを祈りたい」。
秋山徹総幹事が、逝去教師260名、逝去宣教師21名の名を読み上げた。
三日目は「朝の祈り会」として持たれ、戸田奈都子牧師(川内教会)がルカ15章11〜32節から「救いの出来事の後」と題してメッセージを語った。
「放蕩息子の物語で、私たちは、父に見出され、赦され、受け入れられる弟と自らを重ね合わせる。また、弟に対する父の振る舞いに納得できずに苛立つ兄の姿にも、自分自身を見出す。この物語は、神さまが弟と兄との間に、どちらをも愛する親として立ち続けていることを伝える。それは、神の国とこの世とのギャップの間に立ち続け、辛抱強く働くキリストの姿のようである。このたとえ話の後の物語を想像してみた。救われた弟は神の家の仕え人となったのではないか。教会の仕事は仕え人として喜びの祝宴を準備すること。ここにいる全員が、神の仕え人として、後の物語を生きている。全国に散らばっている兄弟姉妹の姿を想いながら、救いの後の物語を生きて行きたい」。
「傷ついた世界の回復のために」というテーマで、5名が祈りを捧げた。「平和を求めて」(向井希夫議員)、「コロナ禍の苦しみとなぐさめ」(稲松義人議員)、「壊され続ける被造物(自然)のために」(戸田奈都子議員)、「福音を広く分かち合うために」(服部修議員)、「神の働きに参与するために」(柳あつ子議員)。
(新報編集部報)