イスラエルの民がバビロン捕囚から帰還し、新たな歩みを始めた時、民は主の神殿を荒廃させたまま、自分のための住まいを整えていた。しかし預言者ハガイは、神殿を整えることを命じ、繰り返し「勇気を出せ」と語りながら、「新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさる」(ハガイ2・9)と告げた。▼捕囚が起こる前、民にとって神殿は、主に背いていながらも、自分たちが主に見放されることはないと妄信する根拠であり、神殿の崩壊は、自らの偶像が壊されることであった。それ故、神殿の再建は、主に仕える歩みにおいてさえ、自らを主としてしまう罪を知らされ、にもかかわらず主に仕えるべく歩み出すことであった。この緊張をはらんだ現実を受け止めつつ望みをもって一歩を踏み出す時に必要なことが、信仰者にとっての「勇気」なのではないだろうか。▼今私たちは、人と人が距離を取らなければならないという、教会の生命が奪われるような試練に遭遇し、荒廃した状況の中から立ち上がろうとしている。主の慈しみに満ちた導きに信頼し、信仰者の勇気を持って一歩を踏み出すのであれば、そこには昔にまさる栄光が現わされるに違いない。