PDF版
日本に遣わされて
クリスティーナ・ボーネットさん
「日本食の中で、絶対食べないと決めていたものを最近口にした。フグの唐揚げはサラサラしていて爽やかな味。スッポンは硬い牛肉のよう。鯨のだご汁はまんざらでもなかった」。よどみない日本語で、絶妙な表現を用い、自身のことを語るクリスティーナ宣教師は、召命を受け、3年前、21歳の時に来日した。
鎮西学院高等学校で、グローバル・イングリッシュコースの副担任を務める。高校3年生には最後の課題としてリサーチペーパーを課している。生徒はそれぞれにテーマを選び、初めての英語論文を執筆する。原子爆弾投下の倫理性やLGBTについて書く者もあった。生徒たちは背伸びの末、3年間の学びの成果をクリスティーナ宣教師にぶつけ、学びの実を収穫して、気分爽快、卒業して行く。
聖書の授業も受け持つ。学院のキリスト教教育の再建に尽力した元ラガーマン、鐵口宗久学院宗教主任からのチャレンジだった。週末には大村教会に出席しつつ、乞われて佐世保東部伝道所や諫早教会でも説教する。
神学は高校生の時に両親と共に教会で学んだ。父は実験物理学者兼エンジニアだ。クリスティーナ宣教師も、親譲りの思索家で、抽象的に物事を捉えるのが得意だ。その賜物を活かしつつ、関心を、神学と日本宣教、日本人の思考様式に向ける。
鎮西学院は卒業生が教諭となって戻るケースが多い中、異文化・他言語圏からの赴任である。日本語こそ堪能でも、学校の内在論理を短期間で掴むのは無理難題である。「周りの先生方とそりが合わない、心が通じない、自分だけ馬鹿じゃないか」と悩む日々が続いて落ち込むこともあった。だが今、その苦労が実を結びつつある。「3年間のすべてが益になった」と振り返る。