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底知れぬ闇から輝く光
ルカによる福音書4章1節〜13節
石橋秀雄(越谷教会)
「もし神の子なら」
昨年の11月末、小説家川村元気が「神曲」を出版した。この小説をめぐって対談がテレビで放映された。 川村元気がカトリック教会で上智大学の聖歌隊が歌うのを聞き「涙が止まらなかった。クリスチャンではないけど神を信じる人の気持ちが分かるような気がする」と語り、「コロナ禍で不信と憎悪が広がり誰も信じない、自分も信じない。ワクチンをめぐるデマが広がり、信じる力が弱くなり、疑う力が強くなっている」と語る。 信じる力が弱くなり疑う力が強くなる社会は、病んでいく社会だ。 コロナ禍の中で、疑う力が強くなり、自分も信じることが出来ず、絶望して他者を道づれに死ぬという凄惨な事件が多発している。社会全体が病んでいることを思い知らされている。 コロナ禍で病んでいく社会の痛みを痛烈に感じさせる状況の中で、荒れ野で悪魔と闘う主イエスが指示される。 「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」(ルカ4・3)。「もし神の子なら」と訳せる。「主イエス」が「神の子であるかどうか」が問われている。さらに「もし救い主なら」とその救いについても問われている。 世界は夥しい人々が飢餓に苦しんでいる。「石をパンに変える」ことができればどれほどの人が救われるだろうか。これほどの夥しい人々が飢餓で苦しみ死んで行っているのに神は救えないのかと神の存在も疑われる事態だ。 主イエスは「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」(ルカ4・4)と申命記8章3節の御言葉で悪魔と闘われる。 「神への無限の信頼によって、ご自身が神の子であることを証明された」(レングストルフ)。 天地を創造されたのは神だ。すべての命あるものを創造されたのは神だ。御言葉で創造された。神が創造された命を神が育て養われないはずがないと、「無限の信頼」、「絶対的信頼」を示すことによって主イエスが「神の子」であることを証明され、悪魔の誘惑を退けられた。 「無限の信頼」、「絶対的信頼」が賛美の歌となる。
悪魔は御言葉をもって主イエスを誘惑する
悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせ、「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる。』また、『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』」(ルカ4・9〜11)と語る。悪魔は、詩編91編11節の御言をもって誘惑する。
「神殿の屋根の端から飛び降りても天使が支えてくださる」、この奇跡を行なえば、主イエスが神の子であることを疑うものはいないと主イエスに悪魔は迫る。
主イエスは、「あなたの神である主を試してはならない」と申命記6章16節の御言葉をもって悪魔と闘われる。無限の信頼、絶対的信頼を父なる神に寄せる神の子イエスは、神を試みる業を行うことなどありえない。
御言葉の力
悪魔が御言葉を口にして主イエスを攻撃する。しかし、悪魔が口にした御言葉が力を失うことなどありえない。悪魔が口にしたこの御言葉が、私たちを救う希望の言葉として響きわたる。
まさに主イエスの十字架は、神殿の屋根から飛び降り石に打ちつけられて肉を裂き、血を流してくださったに等しい。私たちの罪の底に、私たちの悲惨の深みに十字架が立っている。コロナ禍で信じる力が弱くなり、疑う力が強くなり、病んでいく社会、この暗闇の深みに主イエスの十字架が立っている。
この底知れぬ闇の深みに復活の主イエスの光が輝き始める。まさに。私たちが、主イエスに対して「無限の信頼」、「絶対的信頼」を得るものとなり、賛美の歌が沸き起こる。
主イエスを信じる喜びにあふれて歌う讃美歌は、信じる心が弱くなり、疑う心が強くなって苦しむ人々を包み込み、その病を癒す力だ。