【4948・49号】イースター メッセージ わたしたちの物語としての復活 ヨハネによる福音書20章24節〜29節 中道 基夫

復活の証言を通して

この聖書箇所の最後の言葉「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」は、せっかくトマスが「わたしの主、わたしの神よ」と告白したことに対してあまりにも厳しすぎる言葉のように思います。そこまで高いレベルの信仰を求められるのかと尻込みしたくなります。

しかしながら、初期キリスト教会の宣教、さらに現代のわたしたちを考えるならば、むしろこの言葉はわたしたちを宣教へと誘う約束と励ましの言葉として聞くことができるのではないでしょうか。

この言葉を少し訳し変えるならば、「あなたは今わたしを見たので信じましたね。しかし、これからあなたたちはわたしを見せることなく復活を証言する宣教に赴かなければなりません。そのあなたがたの証言をもとにわたしを信じる人たちは幸いです」と言えるのではないでしょうか。

わたしたちもイエスを目の前に示して人々を信仰に導ければどれほどいいだろうかと考えます。しかし、わたしたちの証言を通してしか人々を信仰へと導くことができないわけです。それがまさに幸いなことであると語り、わたしたちの証言を、そしてその証言を通して得る信仰を祝福してくださっています。

わたしたちの説得力が幸いなのではなく、そこでわたしたちは聖霊の働きを経験するからです。この箇所の少し前に、弟子たちに「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」と言われています。読み替えるならば、「証言しなさい。そうすれば信じる。証言しなければ、誰も信じない」という言葉になるのではないでしょうか。そして、この復活の証言こそ、単なる奇跡的出来事の証言ではなく、罪からの解放の福音の告知です。そして、わたしたちの拙い証言を通して人が信仰へと導かれるというところに、わたしたちは聖霊の働きを感じざるを得ません。

イエスの復活がわたしの物語に

トマスの物語は、世にも奇妙な奇跡的な出来事の証言ではなく、それが「わたしの主、わたしの神よ」という言葉に示されているようにイエスの復活が「わたしの物語」となったことを示しています。

トマスはいったいここでなにを経験したのでしょうか。トマスが特別に疑り深い人物であったというわけではありません。むしろ、「わたしたちも行って、(イエスと)一緒に死のうではないか」(ヨハネ11・16)とイエスと運命を共にすることを呼びかけるほどイエスに心酔していました。しかし、イエスの十字架の経験は、イエスへの信頼を揺るがせるものだったのでしょう。自分の熱情を傾ける対象を失ったトマスは、イエスに失望したのかも知れません。

そんなトマスを救ったのが、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」というイエスの言葉でした。実際にトマスが科学的に復活を確認し、「まさにイエスは復活しました」と証言したわけではありません。「信じる者になりなさい」は、トマスにだけ向けられた言葉ではなく、わたしたち自身に語られた言葉であると言えます。そして、トマスがそうしなかったように、わたしたちも科学的分析と証拠に基づいてイエスを信じるわけでもなければ、証するわけでもありません。

傷ついたイエスの手を見て、疑いと不安、失望に閉ざされていたトマスの心に復活のイエスがストンと腑に落ちた、自分の中にイエスが入ってこられたのではないでしょうか。それゆえに、トマスはイエスに向かって「わたしの主、わたしの神よ」と告白することができました。

トマスが出会ったのは、傷だらけのイエスでした。ここに復活の神秘があります。復活したからといって、イエスの体はきれいになり、傷跡もなくなった、すべての問題が解決したというわけではありません。トマスはその傷が残ったままのイエスに出会った。イエスの傷とトマスの傷、わたしたちの傷、復活の物語とわたしの物語が繋がるときに、「わたしの主、わたしの神よ」と告白することができるのです。わたしたちも信仰を得て、完全なものになるわけではありません。わたしたちの傷、痛みも、人生の問題も罪も消えないものとして残っています。しかし、イエスの十字架と復活によって、それはわたしたちを死に至らしめるものではなくなり、癒され、神様に差し出し、人々に示すことができるものになりました。

福音の神秘を経験する幸い

過ぐる1年、わたしたちはこれまで経験したことのない無力感を感じたのではないでしょうか。コロナ禍の中で、「信仰を持てば大丈夫」、「礼拝では感染しません」、「聖餐式は感染から守られています」なんてことは言えなかったわけです。礼拝をやめたり、礼拝出席を自粛したり、讃美歌を歌わないことしかできませんでした。しかし、この中でわたしたちはイエスの復活の証人であろうとしました。多くの教会が、なんとかその証言の言葉を伝えよう、宣教の火を消してはならないと知恵を絞り、力を注いでがんばってきました。そして、今もがんばっています。

わたしたちの証言を通して復活のイエスを信じる人が生まれてくる。この福音の神秘を経験する人はいかに幸いなことでしょう。それは福音を伝えるわたしたちにとっても幸いなことです。そして、イエスはその幸いをわたしたちに約束し、その祝福へとわたしたちを送り出してくれています。

わたしたちは現在、予測しなかった事態に遭遇し、社会が大きく変わろうとしています。この不確実な時代の中で、変わることのない復活の物語をわたしたちの物語として持っていることはなんと幸いなことでしょうか。

(関西学院大学神学部長)

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