【4940・41号】新型コロナウイルス 感染拡大の渦中で 医療専門家たちの声に聞く

大友  宣 《老蘇会・静明館診療医/日本聖公会・札幌聖ミカエル教会員》

ウィズコロナの宣教

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

ヨハネによる福音書

20章19節

今こそ、わたしたちは教会から平和を携えてでかけていく時期です。新型コロナウイルス感染症の影響が社会の至るところに出ています。病院や施設では家族と会うことは出来ません。社会では仕事がなく、補償もなく戸惑っている人たちがいます。家庭内暴力、孤独、貧困の問題が大きくなります。分断と格差の拡大があります。イエスはこのような時代にこそ生きています。それなのに、教会は今、機能を十分発揮することができていません。

弟子たちはユダヤ人が怖くて部屋に鍵をかけてじっと家に閉じこもっていました。現在のわたしたちも似ています。そこにイエスが現れ、弟子たちに平和のメッセージを送ります。恐怖の限界の中にある弟子たちにとって、平和なのは部屋に閉じこもったままでいることでした。その時に主の平和がもたらされたのはなぜか。それは、復活のイエスに出会ったからです。イエスが一方的に私たちに与える平和以外には本物の平和はありません。

イエスは続けます。「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」。弟子たちは扉を開け、外に行き、宣教の業を始めます。それはユダヤ人が居なくなったからでも、迫害の恐れがなくなったからでもありません。新型コロナウイルス感染症はなくなってしまうこともなく、怖さをひしひしと感じます。どのようにわたしたちは遣わされるのでしょうか。

第一に、わたしたちは何らかの対策を考えた上で教会生活をできるように工夫することができます。「教会における新型コロナウイルス感染症対策ガイド」を作りました。教会でクラスターが起きないようにしながら教会生活をすることは大事なことです。

次に、新しい教会の日常を創り出すことが必要です。今までの教会の仕組みでは高齢者がなかなか出席しにくい。施設や病院への病者訪問はしにくい。教会の主催で集会や交わりの場を持つことが難しい状況です。

そして、イエスが命じたように主の平和と共にわたしたちは遣わされます。平和を携えてでかけます。教会を含めた社会では、新型コロナウイルス感染症の流行の中で限界を感じている人々が今たくさん居ます。教会自体もそのような限界にありますし、社会の至るところに裂け目が出来ています。主が与えてくださった平和をもって生きることが、イエスの弟子としての私たちの使命なのではないかと思います。

【日本キリスト者医科連盟全国委員、「教会における新型コロナウイルス感染症対策ガイド」を編集】

藤井 明子 《さくらキッズくりにっく院長/聖ヶ丘教会員》

変わらない恵みが伝わることを願って

私は小児科医として都内クリニックで働いています。おもに小児神経・発達外来を行い、年間に2500名を超えるお子さんを診させていただいています。

原稿を書いている今は2020年11月中旬です。日々コロナの感染者数は変化し、その度に対応・対策が変化しています。

振りかえると、2月下旬に突然、休校措置が決まり、わが家の子どもたちも長い自宅での生活を余儀なくされました。毎日曜日の教会堂での礼拝参加も出来なくなりました。

私の勤めるクリニックでは、急な環境変化についていくのが難しい子どもたちの相談が増えています。中学校に入学したものの学校に登校できず、長い自宅での生活になり、オンライン授業を始めとする生活に慣れ、オンライン以外での社会的な繋がりが持てなくなった子どもたち、学校に行けなくなったり、不安が強くなったり、眠れなくなるとか、外に出るのが怖くなったなど様々な相談があります。

小児科病棟では、親御さんの付き添いができなくなり、面会時間も従来よりも短時間に制限されています。

私たちを取り巻いている悩みや問題は大きく、時には子どもたちや親御さんと一緒に悩むこともあります。一人の小児科医として、また、子どもたちよりも少しだけ人生の先輩として何を伝えることが出来るのだろうかと、いつも問い続けています。

今回のような想定外の事態に置かれたとき、私たちには、生きるための土台、存在全体を照らす光が大切であるということを強く想わされます。それは、「いのち」と「存在」の肯定です。

クリニックでは、教会に誘ったり、神様のお話をすることはありません。しかし「神様がわたしたちと共におられる」ということに、私自身が支えられ、信仰に踏みとどまって毎日を歩ませていただいています。そして、すべての命が神様の愛と御手の中にあるということを心に刻みながら、親御さんや子どもたちと接しています。

私たちを取り巻く闇は深く、先行きが不透明に思えることもありますが、おぼろげであっても光を感じ、少しずつでも光に向かって進めるようにと願い、お話ししています。

親御さんや子どもたちが「先生とお話しすると気持ちが落ち着きます」とか、「先生となら話せるし、ホッとする」と言ってくださることもあり、神様の御業を日々感じながら過ごしています。

コロナ禍にあっても、アフターコロナになっても、「神様がわたしたちと共におられる」という恵みは変わりません。何があっても大丈夫、神様が一緒だから、というメッセージが、私の小さな働きと存在を通して伝わることを願っています。そして子どもたちのため、親御さんのために祈る者でありたいと思います。

石丸 昌彦 《精神科医・放送大学教授/柿ノ木坂教会員》

明日へのヒント

「コロナ鬱」について尋ねられることが多くなっている。国中が酸素欠乏に陥ったような昨今の状況下で、メンタルヘルスの不調がさぞ増えているのではあるまいかと、もっともな懸念である。

ただ、不調のありようは一様ではない。コロナ肺炎の感染者やその家族、医療や福祉の従事者など直接の被害者・関係者の辛苦は察するに余りある。飲食店の経営者や従業員のように、コロナ禍とコロナ対策の煽りを受けて経済的に窮迫する人々の苦悩も深刻であろう。

一方、より間接的で目に見えにくい悪影響の蔓延も見逃せない。卑近な例では、互いにほどほどの距離を保って安定していた夫婦や家族が、外出自粛で四六時中顔をあわせるようになった途端、些細な口論や諍いが絶えなくなったといったことである。感染者や経済的困窮者の苦労に比べれば「その程度のこと」でしかないが、「その程度のこと」が長期にわたるにつれ、ボディブローのように心の体力を奪っていく。

「コロナ鬱」という言葉から筆者が連想するのは、主としてこのようなものである。そして多くの教会が直面しているのもこれに似て、じわじわと体力を奪っていく慢性的な機能不全ではないだろうか。

この種の問題に対応するのは容易ではないが、一つ考えてみたいのは、その多くが実は「今に始まったことではない」ということである。

社会を見渡せば、職場の過剰労働とハラスメント体質、社会格差と家庭の貧困、地域ネットワークの不在と生活者の孤立など、いずれも前々から指摘されてきたことが、コロナ禍をきっかけに抑えがたく顕在化している。潜在的な弱点がストレス負荷によって顕在化するのは、普遍的な構図である。真の原因は、たまたま襲ってきたCOVID−19ではなく、もともと存在した構造的な矛盾のほうではあるまいか。

それならここは一番、これまで先送りにしてきた問題にあらためて正面から取り組んでみたらどうだろう。諸々の活動を停止・縮小した分、時間だけは十分にある。それぞれの教会でテーマを選び、この機にどう変わりたいか、皆でじっくり考えてみるのである。

皮肉なことに精神医療の現場では、コロナ禍をきっかけに長年の苦労から解放された人々も少数ながら存在する。パニック障害に伴う乗り物恐怖を抱えていた人々はその一例で、通勤電車の殺人的な混雑がテレワーク推進で緩和されたおかげで、生活が劇的に楽になった。長年飲み続けてきた向精神薬が不要になった例すらある。

どんな災難にも、必ず明日へのヒントが隠れている。コロナ禍自体は決して歓迎できないが、これを神が与え給うた自問と成長の機会とすることは十分できるはずだ。それは世々の教会が現にたどってきた道でもある。【キリスト教メンタル・ケア・センター副理事長】

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