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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4720号】地震、津波、諸教会の被害状況は 爆撃後の街さながらの壊滅状態

2011年4月9日

 

さらに石巻市街を海岸方面へ進む。自衛隊や警察、消防の車の往来が目立ち、ついに一般車の進入が規制された。規制区域の外に車を駐め、歩いて石巻栄光教会へ向かう。

小さな土手にかかる橋を越えると、いきなり、あり得ない光景が目に飛び込む。おびただしい瓦礫の山、どれも異常な姿勢の多数の車。折り重なり、電柱に引っかかり、家に突っ込んでいる。破壊された建物。爆撃後の街さながらの壊滅状態。

多くの人々がどこへ向かうともなく、荷物を抱えながら、黙々と歩いている。時々、悲鳴とも歓声ともつかない声が上がる。無事と言えるのか、とにかく生きて再会したのだ。

規制区域内でも、もちろん緊急車両は走っているし、一般の車も少なくない。道路には大勢の人も歩いている。なのに、何か静かだ。しばらくして気づいたが、人を避けながら走るどの車も、決してクラクションを鳴らさないのだ。他の被災地でも車の通れる所はどこでも車が走っているが、どこでもクラクションを鳴らすのを聞いたことがない。黙々と歩く人が車の進行を妨げれば、車も黙って待つ。誰が決めたのでもない暗黙のルール。日常の市街地ではあり得ない。

石巻栄光教会(小鮒實牧師)は、土台が若干高いのか、辛うじて海水は床上まで襲わなかった。幼稚園舎は避難者のために開放されていた。救援物資は車に残してきたので、たまたま教会堂の脇にあった台車を借りて、物資を取りに車まで戻る。道路は、海から運ばれたと思われる泥で薄く覆われている所が多い。荷物を積み上げた台車を押すのはやっかいだが、時々、強い視線を感じる。呆然と座り込む人、自転車に限界まで荷物を積んで運ぶ人。しかし皆、静かだ。

小鮒牧師の車をお借りし、石巻山城町教会を訪ねる。鈴木淳一牧師、裵善姫(ペーソンヒ)牧師夫妻は、地震発生時は無事が確認されていたが、その後の足取りが不明だった。しかし、夫妻は無事に帰っていることを隣家の人から聞いて一安心。少しばかりの水と食糧を玄関先に置いて、石巻の街を一望できる高台の日和山公園へ登ってみる。

海に向かって目をやると、初めて見る石巻なのに「変わり果てた街」だと分かる。津波に嘗め尽くされ、所々、煙も立ち上っている。捜索だろうか、ヘリコプターが昇降している。この壊滅した街の、しかしどこかに生存者がいるに違いないと思いつつ、ただ眺める(後日、地震から9日後の20日、80歳の祖母と16歳の孫が、ここからわずか数百メートルの所で救出された)。

一同、日和山から降りようと階段から下を見た時、見覚えのある顔が登ってくる。なんと、鈴木牧師夫妻だ。思いがけない再会を喜び、祈りを合わせて、日和山を後にする。

一度、石巻栄光教会に戻る。近くの教会員の家に一人の青年が滞在しているので、仙台まで送り届けてほしいと頼まれる。この青年は、会社の営業車で仙台に帰る途中、津波に巻き込まれた。命からがら3階建ての工場の屋根に登り、その屋根の上で冷たい雪に晒されながらも一晩中耐えたのだ。水が引いた後に屋根から下ろされ、まだ引ききらない海水を避けながら道を辿り、時に遺体の処理の手伝いなどをしながら帰る道を探していた。たまたま栄光教会の信徒の荷物を運ぶ手伝いをして、その信徒宅にお世話になった。

津波を生き延びた青年を乗せ、仙台を目指す。途中、二つの教会に寄らせてもらう。塩釜東教会(津村勝牧師)に着いた時はすでに夜。残っていた最後のポリタンク2缶分の水を差し上げる。最後の仙台東教会は、教会員や近隣の方々の避難のために礼拝堂を開放していた。礼拝堂の長いすを向かい合わせたベッドで、寝る支度を整えているこの人々は、何を想いこの時を過ごしているのだろうか。いま、いったいどれほどの人々がこの心細い夜を過ごしているのか。去来する様々な思いを引きずるように、車に戻る。

かの青年は、携帯電話で会社に連絡。同僚や先輩たちが、迎える準備をしているという。会社に到着すると、青年は歓喜の輪の中でもみくちゃにされた。

15日は、岩手県南部の教会を訪ねたが、夕方には一関教会で奥羽教区議長、東北教区議長と教団総会議長の三者で緊急協議を行う予定なので、多くの教会は訪ねられない。なにしろ岩手県は四国四県が入るほど広い。南部の大船渡を目指しながら、途中、千厩教会(三河豊、柳沼赦羊子牧師)に立ち寄る。古い会堂は無人だったが、鍵はかかっていない。鍵をかけようにも、玄関の扉が閉まらないのだ。

一関から三陸海岸方面に向かう道は緩やかな山間だが、意外にも自動販売機は稼働し、商店も営業している。この辺りでは日常的な生活が保たれているように見えた。

ところが、しばらく進むと突然、異様な光景が目前に広がった。山間の村と思われたが、ここも津波に飲まれたのだ。鉄道の鉄橋も流され、道床にはレールがない。飴のように曲がって、その先どこへ消えて行ったかも分からない。陸前高田の街に近づいたのだった。

規制されている陸前高田市街を回避し、やがて大船渡の街へ入る。大船渡教会(但馬秀典牧師)は港から近いが高台にあり、昨年献堂されたばかりの新しい会堂と牧師館だ。留守番をしていた役員に聞くと、2人の会員が行方不明とのこと。しかも2人とも陸前高田在住だという。

港近くの市街へ下りてみる。2階、3階の建物がひっくり返っている。瓦礫の高さなどから想像するに、津波の高さは優に10mは超えていそうだ。海外のレスキュー隊が、瓦礫の間に潜って捜索・救出活動をしており、そこに海外のメディアがテレビカメラを向けている。視覚的には緊迫した激しい光景だが、シーンとした静けさが異様だ。言葉もない。

一関に戻り、邑原宗男奥羽教区議長、高橋和人東北教区議長、石橋秀雄教団議長の三者協議が祈りをもって始まった。雪が降り始めていた。

(総務幹事・藤盛勇紀)

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