地震発生の翌12日、総幹事のもとに設置された「救援対策委員会」は、直ちに被災地に調査員4名(石橋秀雄教団議長、藤盛勇紀幹事、加藤誠幹事、森田恭一郎社会委員)を派遣することを決定した。主な目的は、教団として被災教会を問安、安否・被害について情報を収集し、僅かでも救援物資を運び、可能ならば奥羽、東北の教区議長と対応を協議することである。翌日曜日早朝の出発と決まった。
13日(日)早朝、車2台でそれぞれ埼玉、東京を出発。すでに深刻な事態となっていた福島第一原発を避け、日本海側から仙台に入ることとした。まずは新潟の十日町教会を目指す。新潟中越沖地震の際に救援活動の拠点の一つとなった十日町教会で主日礼拝を守り、新井純牧師と懇談して、アドバイスも受けた。市内のスーパーで救援物資を購入し、急ぎ被災地に向かう。新潟、山形、経由で仙台に入り、仙台東六番丁教会(東北教区議長高橋和人牧師)に到着した時は夜10時を回っていた。水道、電気ともに遮断されたままだが、旅行中に地震に遭った青年らが避難所を経てここに逃れていた。
その夜、高橋和人教区議長と共に東北教区センターへ移動。教区宣教委員長の片岡謁也牧師らと情報交換する。この東北教区センターは、仙台市内では珍しく電気・水道とも通じている。安心して水が飲め、トイレも使えるのはありがたい。
14日(月)、朝食代わりのバナナをほおばり、高橋教区議長も同乗して仙台北教会(小西望牧師)へ向かう。仙台市内を走っていてよく見かけるのは、様々な行列だ。まず、ガソリンを求めて道路の端に並ぶ自動車の列。次に、スーパーなどの商店に並ぶ人の列。そして、水道の出る地域の公園では水汲みの行列。どの列にも共通しているのは、整然とした静けさだ。
仙台北教会は、礼拝堂正面の高い位置にある大きなガラスが2枚ほど割れ、礼拝堂は吹き曝しとなっていた。しかしこの日、小西牧師が案内係兼運転手を引き受けてくれて、宮城県北部の教会を目指す。
この度の震災の特徴でもあるが、巨大地震にもかかわらず、地震の揺れそのものによる建物の倒壊や損壊の被害はさほど目に付かない。ただ、陸前古川教会(関純一牧師)の周辺では、古い市街だからか地盤のせいか、倒壊家屋がいくつか見られ、教会の隣の建物もかなりのダメージを受けて傾いていた。留守を守る教会員に状況を聞くと、新しい会堂で被害はなかったが、旧会堂だったらこの地震には耐えられなかっただろうとのこと。
沿岸地方に向かい、途中、田尻教会、涌谷教会を訪ねる。田尻教会(小久保達之佑牧師)は、新しい会堂と牧師館で、とくに被害はない。涌谷教会(飯岡洋介伝道師)では、保育園の職員、関係者の多数が被災、行方不明者があるとのこと。
この涌谷辺りから携帯電話がつながらなくなった。「圏外」だ。私たちは車で移動しているからよいが、移動手段を持たない人の不安はいかばかりだろう。
さらに海の方を目指す。まだかなり内陸のはずだが、ふと気づくと、道がうっすらと土埃をかぶって白っぽい。ここまで津波による海水で覆われたのだ。改めて「被災地」を意識し、にわかに緊張感が高まる。
石巻市街に入り、住宅街の路地を抜けようとすると、行く手を阻まれた。海水で道路が冠水している。一つの白い建物が水に囲まれている。見ると、「・・・キリスト教会」と記された看板が落ちている。他教派の教会だった。
◇地震、津波、諸教会の被害状況は◇ 爆撃後の街さながらの壊滅状態 へ続く