思いを寄せ合い、祈り合い
秋に出された長期予報通り全国的に大雪となった今冬、十日町教会周辺は積雪が3メートルを超えました。過去10年で3回目ともなれば驚くほどのことではなくなりましたが、日課とは言え、毎日数時間にも及ぶ除雪作業は楽ではありません。
6年前の晩秋、新潟県中越地震の被災地となったこの地域は、まもなく訪れる本格的な降雪の季節に怯えていました。震災で傷ついた建物の補修は間に合うのか? 傷ついた家が豪雪に耐えられるのか? そんな不安が人々の心を支配していました。そもそも震災によって傷ついたのは目に見える建築物ばかりではなく、何よりも人々の心でした。ですから、皆が心に思うこと、考えること、想像する内容、それらがことごとく弱気な方向に向かっていること自体に恐れを抱きました。
そのような中、キリストを力強く証しする信徒の姿もありました。マイナス思考になり、嘆きや恨み言を繰り返す隣人に、「私は神さまが必要を満たしてくださると信じている。私たちは今こうして命を保たれ、仮住まいであろうとも寝食する場所が与えられているではありませんか」と励ますその姿、それによって元気づけられ明るい笑顔を取り戻す隣人の姿は、今でも私の記憶に鮮やかによみがえります。
しかし、残念ながら人々の不安は現実のものとなり、その冬は19年ぶりという豪雪になりました。そのため、震災後に引き続き、たくさんのボランティアが駆けつけてくださり、一緒に汗を流してくれました。
駆けつけてくださった皆さんが取り除いてくれたのは雪ばかりではなく、被災地を飲み込もうとした暗く重い空気であり、ともすれば私たちから生きる気力さえも奪おうとする邪悪な陰でした。決して目には見えない、けれども確かに私たちを包んだ光は、被災地を思う人々の祈りと励ましと共にもたらされたのでありました。
「もともと雪国なのだから、大雪だからと騒ぐことはない」そうおっしゃる信徒もいます。実はその通りで、急に豪雪地になったのではなく、元々豪雪地であり、これまでにも想像を絶する豪雪を経験してきた土地です。にもかかわらず、この地から他へ移住するどころか人々はこの地を愛し、「利雪・克雪」をスローガンに掲げ、発展させてきました。
私たちの教会は、そんな地域に宣教し、信仰を育んできた教会なのです。ですから、地域の人々と共に歩む教会にとって大雪は雪害ではなく「想定内」と言わねばなりませんし、事実積雪3メートルも想定内なのです。
あまりに降雪量が多いと、さすがに礼拝出席は減ります。夏場に比べ冬季は3割から4割減でしょうか。車で来られる方が他の方を送り迎えするシーンも増えます。猛吹雪の中、隣町の集会に行ったことや、代務を務めた教会に説教を録音したCDを届けるために吹雪の峠を何度も越えたりしました。不思議と、それらは苦労ではなく、逆に集会を持てる感謝や、御言葉を届ける喜びに満たされた楽しい記憶として残ります。
よくよく考えれば、北海道や東北北部の教会は同じような環境にあるでしょうし、沖縄なら日照りや台風といった厳しさに加え、米軍基地という人災まで押し付けられ、その辛さは私たちの比ではないでしょう。九州では家畜の伝染病で地域経済が打撃を受けた上、火山の噴火による降灰にまで苦しめられ、被災から17年を経た兵庫の方々の傷が癒えるのはいつになるのかと案じもします。他にも、水害や震災などはいつどこで起こるのかわからず、しかも全国どこにいても、大きな災害に襲われるリスクがあるのです。
だから、私たちは日頃から互いに思いを寄せ合い、祈りを合わせることが必要なのだと改めて思います。災害に遭ってかわいそう、なのではなく、自らの体が痛む感覚を養いたいのです。私たちはキリストにあって結ばれていると信じるからです。
窓の外は今も雪が降っています。でも、やがて来る暖かい春の陽を楽しみに、今はジッと耐えることにいたしましょう。
(新井純・十日町教会牧師)