竹前先生を送る 小島誠志(松山番町教会牧師)
大きな人だった。
体格もそうだが、人間の大きさを感じさせる人だった。
たいていの人には押さえどころがある。要所をつかめば全体像が浮び上がってくるような。
しかし、竹前先生はつかみどころのない人だった。
シャープにもの言う人ではなかった。先生の言葉は茫漠としていて、その広さも深さも量りがたいものがあった。そう、ちょうど海のように。
日本基督教団の転換期に、時を得て現れた総幹事だったと思う。
機敏にこまかく対処するような動き方はしない人だった。対症療法みたいなことはしなかった。
ときには動いていないように見えた。
しかし動いていたのだ。森のように。
あの大きなふところにすべての問題を受けとめていたのである。
すべてを受けとめて、大きく舵を切った。
いつもそうだが、事柄が動いたあとぼくらは竹前総幹事の存在の力を知らされた。
日本基督教団はこの総幹事によって大きな方向転換をしたのだ。
他のだれによってでもこうはいかなかったにちがいない。
「巨星落つ」と言う。まさに教団史の巨星だった。
しかし、竹前先生は落ちたのではない。
なすべきことをなし終えて、帰って行かれたのだ。遣わされた主のもとへ。いまはなつかしい、あの悠然とした足どりで。
竹前 昇(隠退教師)
11年1月27日、逝去。78歳。東京都に生まれる。
'61年東京神学大学大学院修了、同年頌栄教会に赴任、聖徒教会を経て、01年~07年、日本基督教団総幹事を務め、08年より伊勢崎教会を代務し、10年隠退した。遺族は妻・竹前ルリさん。