▼「父の棺を入れるために大きな鉛の縁どりのある石棺の蓋を引き開けたとき、ぼくは神が人間をすべて蒐集していることがわかった。父が暗闇へと下ろされていったとき、ぼくはようやく気付いた。ほかの選択肢なんかないのだ。ぼくらは死んだら神のもとへ行かなければならない。...中略...ぼくらの重い死体は十字架のしるしの下に押し込まれるのだ。大きなゴミ容器となんら変わらない。神は、がらくた蒐集家なのだ...『望楼館追想』.文春文庫」。▼冒涜的な言葉だが、一面の真理を突いているとも思う。人間の到達点がどこにあるのか、そして、そこに神の意志が働いていること、この見解には賛成だ。がらくた蒐集家というのも、人間的な目で見れば、その通りかも知れない。▼この言葉を吐いた主人公がそもそもがらくた蒐集家だ。533頁の本の末尾には、52頁にわたって、彼の蒐集物リストが載っている。その大半が傍目にはがらくたに過ぎない。子供用おまるまでも。しかし、彼にとっては、様々な形の愛から、鮮度を保って切り取った品々なのだ。▼がらくたの値打ちに客観性はない。あくまでも蒐集家の主観的な価値観だ。私たちもがらくたかも知れない。しかし、神に選ばれたがらくただ。▼主人公に全面賛成出来ないのは、棺が究極の到達点だとは考えないからだ。ゴミが分別されるように裁きがある、棺は天国へ向かう舟であり~いろいろ相違点がある。最大の相違点は魂を信じるかどうか。▼主人公の仕事は蝋人形館の(偽)蝋人形、人間が混じっている方が、人形に凄みが出る。彼は一切の動きを止め、何より気配を消す。その時にこそ、消すことの出来ないものの存在に気付いて欲しいのだが。