ひ弱な体であったため、家の近くにあったキリスト教中学に入学した。
ところが、警察や憲兵の立入視察を不快に感じた両親が家具店を閉店して郊外に移住した。校舎も軍隊に撤収されて、学校は遠くなってしまった。「油・電気の節約のために生徒は必ず徒歩で通学すること」という規則もあって、ついに、夏休みごろに発病して一年間の休学を余儀なくされた。復学後も体育や遠足は見学が多く、とても消極的な生徒であった。
しかし、終戦を境に社会は一変した。ある時、グラウンドで聞いた宣教師の集会で心揺さぶられ、勇気を振り絞って函館教会の階段を上った。以来、教会が第二の我が家となった。
受洗後、牧師に同行して結核療養所や江差の洋裁学校で開かれていた聖書研究会に参加したことが学びの第一歩であった。青年会では、教会の計画に先んじて野外朝祷会や例会で祈り、進学する教友のために少しずつ援助し合った。結婚後は若婦人会を立ち上げ家々で祈ったり、全道集会に参加したり、バザーで働いたり、元旦礼拝に始まり年末祈祷会に至るまで教会で過ごした。
自分の力では消極的な姿勢で終わったかもしれない人生も、御言葉の学びと奉仕へと引き出されたゆえに大きな喜びを与えられた。
今、体は不自由になったが、若い人たちに支えられて主日礼拝に出席でき、平安を得ている。教会で奉仕する方々や、遠くの教友のために祈ることに心を尽くそうと心掛けている。
失意と試練の時にも、すでに主の不思議な定めの中に置かれていたことを覚えると、感謝のほかはない。
姉妹の笑顔は主と共にあることの幸せをいつも映し出している。
福島県出身。遺愛女子中学・高等学校を卒業。19才で受洗。函館教会員。