石田真一郎さんは、東京生まれ、東京育ち。これまでの赴任教会も東京だが、父は長崎生まれ、母は広島育ちで、共に被爆はしなかったが、石田さんは、小さい時から原爆の話を聞かされて育った。
石田さんが8月2日生まれだったこともあり、母親の話は、石田さんの心に強く残って、石田さんの歩みを決定づけることになる。
70年代、父親の仕事で小学6年生までの4年間をロサンゼルス近郊で過ごした。
2年生だった74年は、米国が介入したベトナム戦争が好転せず、翌年の北ベトナム爆撃に踏み切った時期で、米国は、騒然とした状況が続いていたが、身の回りは平和だった。
石田さんは、国際キリスト教大学(ICU)高校の時、初めて聖書を読み、筑波大学3年から教会に通うようになり、翌年、受洗した。
4年生の石田さんは、会社訪問を続ける一方で東京神学大学も受験し、共に合格したが、いずれも辞退し、筑波大大学院に進んだ。
どの道を歩むのか。この時点では、まだ決め切れなかったという。力強く人生の歩みを語ってくれた石田さんが、このときだけ、弱さを見せてくれた。
修士論文で「日本キリスト教史」をテーマに書き上げ、92年、再び東神大を受験した石田さんに、もう迷いはなかった。
ノンクリスチャンだった父は、ただ一言、「食べて行けるのか」と尋ねたそうだ。
石田さんは、一昨年、教団事務局入りし、教団4人の幹事の一人として、伝道委員会・伝道推進室、教育委員会を担当している。
インタビューの最後に、「52歳となった私の人生は、イエス・キリストの平和の福音を、告げ知らせることにある」と、力強く語った。
1966年、東京都生まれ。東久留米教会(西東京教区)牧師。2016年より教団幹事。