「教会史」の編纂が進められている最中に着任したので、その作業に加えられることになった。この教会の歩みを深く知る機会を得たのである。専ら書かれた原稿を読み、文章の推敲や校正を共にして、先達の働きや苦労に出会っていく。教職や宣教師、信徒の方々の名前を覚えながら、神様の不思議な御業に驚き、感謝に 満たされる時を持った。しかし「前史」の中で原主水を始めとする17世紀の駿府キリシタンの出来事をも同時に教えられたのである。
実は先日、市内キリスト教連絡会の席で駿府キリシタンの殉教についてカトリックの司祭から話を聞く機会を得た。その話によれば一六一四年「伴天連追放令」から一六三一年駿府最後のキリシタン五名の処刑までに、(文書の記録がないので言い伝えによる数として受け取るほかないが)千人を超えるキリシタンがこの地で殉教 したというのである。名も知れぬ多くの先達と命をかけた信仰の上に明治の伝道も再開されていた。このような事例は全国各地にあるだろう。
私共の教会は数度の火災で建物や資料が焼失している。当然、多くの先達について名前も分からない。しかし主がその方々の歩みと祈りを受けとめ、御自分の業を進められること、教会を再臨の時へ導かれることを教会史編纂作業を通して深く教えられる。命の書に名を記された多くの先達と共に主の約束に与る将来、そこに日々 の現実を歩む私共の希望と謙遜また伝道の喜びが育まれている。
(教団総会副議長 佐々木美知夫)