【4671号】受難週メッセージ 成し遂げられた御心

成し遂げられた御心 ヨハネによる福音書19章28~30節

佐々木美知夫

あがないこそが父の御心

受難節の中、私共はイエス・キリストの御苦しみを記す御言葉を繰り返し読んでまいりました。そしてそこに示される事柄が詩編22編やイザヤ書53章など多くの旧約の言葉に結び付くことを信仰をもって受け取ってきたのです。「聖書はわたしについて証しをするものだ。」(ヨハネ5:39)という主イエスの言葉を思い起こしながら、主御自身がそれらの事柄を担い、父なる神の御心がそこに成し遂げられてゆく有様を私共は信仰によって見せていただいているのであります。
今、与えられております御言葉もイエスさまの十字架での最期を記したものであります。わずか三節の御言葉でありますが、ここにイエスさまの地上での御生涯とその御業が集約されていると受け取ってもよいでありましょう。十字架の苦しみと痛みの中で主が語られた二つの言葉と死に向かわれる様子が示されている部分です。
ここには三度同じ意味の語が出てまいります。「成し遂げられた」「実現した」という言葉です。口語訳では「終わった」と訳されていましたが、「終える」「完成する」という意味の言葉です。28節に主イエスは死に際し、「すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、『渇く』と言われた」と記されています。29節の酸いぶどう酒を人々が主イエスに飲ませようとしたことと合わせれば詩編22:16や69:22の御言葉の成就であり、主が辱めと苦しみを担われたことを私共は深く知ることができます。ヨハネは聖書の言葉が成し遂げられたことを示していますが、それは主イエスがその御生涯を歩み通し、十字架の上で御自分の肉を裂き、御自分の血を流して立てられた私共のあがないこそが父の御心であったことを明らかにするものです。

主がそれを完成して下さる

私共はそれぞれの人生を歩みますが、人生を完成して終わる(成し遂げる)などということは到底考えられません。人として自分の納得に於いても、人々に対しても、そして神の前にも、不十分どころか本来終わるに終われない状態で去って行かねばならない者です。とりわけ人生の意味について、悲しみや苦しみについて、自分の罪については自分の力で解決や希望を持てない者です。自分という存在であり、自分の人生であり、自分の問題でありながら私共はそれを本当には担うことができません。
しかしそのような私共に対し、聖書は主イエスの十字架の死と復活を指し示すのです。しかもその出来事は私共一人一人のために成し遂げられた神の御心であるとはっきり告げています。ですから教会に於いて御言葉が語られ、主のあがないの業が語られるというのは、まさに私共に対する神の御心が一人一人の存在と人生に具体的に示されているのであり、主がそれを完成して下さることが明らかにされているのです。
酸いぶどう酒を受けられた主イエスはかつて「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである」(ヨハネ4:34)と語られました。ですから、ここでは十字架の苦しみと死の中に立つ主イエスが、私共のために父の御心を行い、その業を成し遂げておられることが証されています。
それ故にこそ私共も主の御受難の出来事と向き合う時、その御苦しみがこの私の救いのためであったという真実な告白なしに主の恵みを味わうことはできません。信仰を持って主の十字架の下に立ち、主の肉が裂かれ、主の血が流され、主の死によって神の裁きと義が全うされたことを聖霊の導きにあって確認し、救いにあずかるのです。
そこでこそ自分の存在と人生に主御自身が深く関わり、これを成し遂げて下さることを確信するのであります。

その深い愛によってこそ

30節には「成し遂げられた」という主の言葉があります。そして主の死が告げられています。この言葉と事実は常に主の救いの御計画が私共の中に実現していることを示すものです。
また主の復活と共に、再臨の日まで私共が導かれて行くことを指し示しています。
受難週を迎える毎にあらためて神の御心の測りがたさを思います。自分のような罪深い者、神に背く者を尊い御子の命によってあがなわれる神、その深い愛によってこそ私共は人生を希望の中に生きるものとされるからです。
終わるに終われない人生ではなく、主にあって罪赦され、喜びを持って生き、死を越え、真の命に生かされる者として歩むことができるのです。
「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた」(ヨハネ14:26〜28)と主イエスは語られました。教会はこの聖霊に導かれて主の十字架のあがないと恵みを御言葉と聖餐において繰り返し味わい、世の人々に向かって主の再び来られる日まで常に主の死を告げ知らせるのです。また主の復活に示された永遠の命を告げ知らせます。それが伝道であり、教会形成の根幹です。
受難週は教会がそして肢なる人々が聖霊によって強められる時です。とりわけその信仰が強められ、証と伝道の業が強められる時です。私共の信仰をそして人生を主が導き、成し遂げて下さることを信じて、共にイースターの喜びに向かう時であります。
(静岡教会牧師、教団総会副議長)

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