【4669号】献身の時 No.1

神の御旨は不思議に満ち、「肉の思い」を超えている。
鈴木岩夫(筑紫教会牧師)

筑紫教会は、故鈴木吉三郎牧師による開拓伝道によって生まれました。教会設立記念日は戦後間もなくの一九四六年十二月二五日、設立認可は’49年三月、その苦労の程は、この日付からでも察していただけるものと思います。
’52年には、幼稚園を併設、教会も幼稚園も戦後を生き抜き、漸く形が整ってきたのですが、諸事情と更なる発展を願い、福岡市博多区から現在の大野城市へと移転いたしました。教会も幼稚園も、大きな転機、むしろ危機を迎えました。特に、幼稚園は、その時点で通園しています園児への責任があります。そのために、送迎バ スを一台増やしました。その送迎バスの運転手として働くようになったのが、初代牧師の三男に当たります私でした。工学部を出て以来勤務していました自動車会社を退社して、幼稚園に就職いたしました。財政的な事を考慮すると、他の道はなかったのではないかと思います。
試練は続きます。東京神学大学に学び、横浜指路教会を経て、二代目の牧師として働いていました長兄の鈴木眞理(まこと)牧師が、’85年、四〇歳の時、突然、それこそ晴天の霹靂、脳幹梗塞に倒れたのです。当時、私は長老として、教会に関わっていました。優れた牧師の指導の下、百人、二百人の礼拝が与えられると確信し ていた時のことでした。眞理牧師は、八年の闘病を経て天に召されました。
私はその頃、幼稚園で働いていたのですが、心で祈っていた事があります。それは、どんなに忙しくとも、心が他のことに捕らわれるような状況にあっても、一日一回必ず聖書に触れるということです。例え開いて読む余裕が無い時でも、触りたいと考えました。実際には、幼稚園の朝礼拝で毎日聖書を開き、日曜日は教会で聖書 に触れていたのですが、今考えれば不思議です。
このことと、八年間、眞理牧師の沈黙の言葉に触れたことが、決定的だったと、今振り返って思います。沈黙の言葉とは、文字通りのことです。病のために、会話ができなくなった眞理牧師は、病床で良く人の話を聞き、そしてただ頷いていました。私自身もその一人です。いつの間にか献身の思いが育っていました。幼稚園の働 きを続けながら通学することが可能な、地元の西南学院大学の神学部に、四二歳の時に学び、’93年補教師となり、筑紫教会に迎えられました。
この出来事については、「家業を継ぐために牧師になった」という評が存在することは承知しています。しかし、それは事実とは違います。眞理牧師が癒され筑紫教会牧師として【復活】すると確信していました。
微塵も疑いませんでした。毎週の礼拝の中で、又、礼拝後、特別祈祷として、眞理牧師の【復活】を教会員の方々と、祈りを共にしていたのです。全国でも祈ってくださっていたと思います。神の御前に二枚舌は使えません。献身時点で、自分の将来のことは、あまり具体的に考えていなかったのです。何れかの教会に赴任するの ではないかとは思っていました。「再び筑紫教会の牧師として【復活】する」との祈りは、「肉の祈りに過ぎなかった。(別の形で復活を見た)」、と、その様に考えます。今から振り返りますと、逆に、家業を継ぐかのように父と兄が伝道した教会の牧師に迎えられましたことは、肉の思いを超えた神の御心だと信じています。 移転しました現在地に於いて、都市計画にかかり、僅かな距離とはいえ移転を余儀なくされ、現在の会堂になりました。諸々の出来事は、全て神の御手の中にあるのだとつくづく思わされます。今、筑紫教会は、新たなる決意の元に、更なる伝道へと向かっています。

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