十一月二四日、長崎Nスタジアムで三万人が集い、日本初の列福式が執り行われた。私は日本宗教連盟、日本キリスト教連合会を代表しての参加であった。
「ペトロ岐部と一八七人の殉教者」は山形の米沢から九州まで九つの地域で殉教したが、四人だけが司祭、あとは殆ど名もない信徒であった。
婦人が六二名、子どもが三一名といわれるから、両者でほぼ半数になる。
彼らは死よりも強い愛の絆、いのちより尊いものがあることを知り、従容として殉教していった。だから英雄的に殉教者を崇めるのではなく、キリストへの愛を貫いて日常的信仰を生き抜いた。その信仰を今に返して、何とか継承したいという思いが満ちていた。
時折降り注ぐ冷たい雨の中、身じろぎもせず三時間余のミサに列していた熱き信仰が印象的であった。四〇〇人の子どもたちの手によって運び込まれたご聖体を、全世界から集うた幾多の司祭の手により拝受する姿に、四〇〇年に亘る信仰の継承がなされている重さ深さを垣間見る思いであった。
改めて確認したのは、殉教者は孤独の中に死んでいったのではなかったということ。コンフラリアという主にある共同体の絆が、しっかりと彼らの生と死を支え切ったということであった。
式の最後で、アウグスチヌスの言葉が引用された。「迫害や拷問が殉教者を生み出すのではない。キリストへの愛の証しが生むのだ」
(教団総会議長 山北宣久)