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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4664号】植村正久生誕150年記念会ー富士見町教会でー

2008年12月13日

「植村正久生誕150周年記念会」が、十一月一〇日、牧師としての生涯を送った富士見町教会を会場に開催された。記念礼拝の司式・説教に当たった同教会倉橋康夫牧師は、フィリピの信徒への手紙3章12?18節に基づいて、「神の志に生きる」と題し、ひたすら御言葉に聞くという姿勢を貫く説教を語り、「日本のプロテスタント 教会に植村正久という人物を与えて下さり、力として下さったことを感謝します。その遺産を継承し、伝道を推進することが出来ますように」と祈った。
武田清子氏が呼びかけ人を代表して挨拶し、植村の人格と伝道の志について、「天皇の家来に対して神の家来」を自負したこと、「日本最初の女性教職者を育てた」ことなどを指摘し、「開明的な開拓者であった」と、興味深いエピソードの数々を語った。
主題講演は、大木英夫聖学院理事長による「植村正久生誕150
年と戦後日本の未来」。東京神学大学図書館に日本プロテスタント資料を収集した経緯から始めて、氏と植村との関わりを述べた。また、自身の幼年学校から大戦にいたる体験と明治維新期のそれとは重なるものがあるとし、「敗戦から全てが始まった」と語り講演が立ち上げられた。
「与えられた時間と予定していた時間との折り合いがつかないだろう」ことを危惧しながら、時にやや早口で、独自の世界観と植村とを重ね合わせて、話題は多岐に渡った。植村が宣教師に触発され垂直次元の発見者となった、つまり祈りを体験したこと、その歴史観の土台は愛国ではなく救国であること、官途につかず伝道した こと、等々、植村論にとどまらず、植村の時代に踏み込んで、彼の思想・信仰の背後にあるものを論じた。仕掛けの大きいイリュージョンの舞台が、ふと連想させられ、独特の大木英夫ワールドに引きづり込まれるような感さえした。
項目だけを挙げても紙数が足りない。他にも、プロイセン崩壊と国際連盟からナチズムの台頭まで、関東大震災、マルキシズム等々。
何かしらの手違いから、大木氏が予定していた講演時間が半分以下になってしまったことは、実に残念なことだった。
発題者が三名立てられ、日本キリスト教会茅ヶ崎東教会牧師・五十嵐喜和氏...肩書きは全てプログラムの《講師紹介》に依る...は、〈植村正久の「系統神学」における教会論と今日の課題〉と題して、「系統神学」こそが植村を読み解くキーワードだとし、『福音新報』に掲載された植村論文などを根拠に、その教会論に迫った。?
東駒形教会牧師・戒能信生氏は、「植村正久の志の継承」と題し、日本のプロテスタント教会における植村の圧倒的な存在を、客観的な視点から観察し、従来からも指摘されてきた、教会の中で自己完結してしまう、という批判をも含めて、植村の功罪を、歴史的な事実に照らして、冷静に振り返った。
國學院大學助教・星野靖二氏は、「植村正久と近代日本の宗教思潮」と題して論じた。その演題から推察できるように、教会の中での植村論に比較すると、一端大きくカメラを引き、より広い時代の画面の中心に捉え、焦点を合わせてから、改めてズームアップした。時代の中での教会そのものの位置付けについても、新鮮な思い で教えられた。
発題者も、与えられた時間を窮屈に感じていたようだ。植村の世界を、三時間に凝縮するのは無理があったかも知れない。しかし、新しい窓が与えられたように感じられた。
協議の時間には、植村の伝道活動と社会活動について等の質疑がなされ、発題者のアドバイスも得て盛り上がったが、ここでも時間が限られた。
出席者数は一〇〇名を少し超えるくらい。年配の方が目立った。語る者にも、聴く者にも、深い思い入れがある、熱気のこもる記念会であった。  (新報編集部報)

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