受くる幸い、伝える幸い
岡山から瀬戸大橋を渡り、四国、坂出に着く。坂出から瀬戸内海に沿って東に行くと高松、徳島へと至る。また西に行くと丸亀、多度津、その先は愛媛、松山である。坂出、丸亀、多度津はそれぞれに海を望む讃岐平野にあり、一つの文化圏と言ってよいだろう。
合田さんは、この文化圏に生れ育ち、これまでの人生で、多くのときをここで生活してきた。この土地を長く離れたのは、大学で学ぶために広島へ行ったときと、その後、広島・因島の高校で英語教師として働きはじめたときだけである。
広島での四年ほどの働きの後、丸亀出身の妻と結婚したことをきっかけに、故郷、香川での教員採用となった。その後、一貫して香川の学校教師として勤め上げた。
多度津、丸亀の近くには善通寺がある。弘法大師の生誕地、真言宗の強い土地柄である。また、結婚した妻の実家は浄土真宗のお寺だった。その中で、合田さんが教会に導かれ洗礼に至ったのは、幾人かのキリスト者との出会いがあったからだ。
小学校三年生のとき父が亡くなった。母と祖父母が商売を営みながら育ててくれた。家に同居していた柳井永真太さんは、多度津教会員だった。日々の生活の交わりの中で大きな影響を受けた。広島では大学に数人のキリスト者の友人がいた。彼らからも良い感化を受けた。
結婚して香川に帰り、柳井さんの勧めもあって多度津教会に通うようになった。一九五八年春のこと。翌年、受洗した。
教会に行くようになって、教会員の野田恒子さんから良い導きを受けた。合田さんにとって「柳井さんが信仰の父であり、野田さんが信仰の母だ。」
丸亀高校への転勤に伴い、丸亀教会に転会。多度津でも、丸亀でも教会学校の奉仕に力を注いできた。教会学校校長は退いたが、今も一教師として奉仕する。それは、受けたことを、次の人たちに伝えるためである。