【4876号】メッセージ 恵みのみ! を歩み続けよう 野口幸生

わたしは、神の恵みを無にはしません。もし、人が律法のお陰で義とされるとすれば、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。 《ガラテヤの信徒への手紙 2章21節》

キリストと共に生きる恵みを無にはしない
 無にはしません! 神様がキリストを与えて下さって以来、この決意はずっと私たちの前に与えられています。言わばキリストが私たちの顔を見つめられて、そうだろう、私たちはこの恵みを無にしようだなんて思わない、さあ、わたしについて来なさいと、言って下さっている。そうやってキリストと共に恵みに生きる決意を新たにする。何度も何度でも。私はキリストと共に生きるこの恵みを無にはしません、イエス様、助けて下さい! と主に向かい、日々新たに。

 人や悪魔は言うかもしれません。あれ? もう決意破ったのって。でもキリストはそうはおっしゃらない。さあ、わたしのもとに来なさい。この恵みに共に生きよう。ついて来なさいと言われる。だから言えるのです。私は神の恵みを無にはしません。それが神様のくださったイエス・キリストの恵みだからです。

 「無にはしません」という言葉は「無効にしない」と言い換え得る言葉です。私は神様のこのキリストの恵みを、無効にはしません。

 無効にも色々ありますが、キリストの恵みを無効にしないとは、こんなイメージでしょうか。

 私は、刑務所で収容者の助けをする教誨師と、これを支える後援会の事務局長もしています。会長は四国銀行の相談役。後援会運営のお金を出し入れする銀行口座も四国銀行にあって、通帳の名前は会長の名前です。結構な額が後援会費として振り込まれます。私が必要なお金を引き出す時は、会長の名前を書いて後援会のハンコを押して窓口に行くと、引き出せる。そのあたり、イエス様のお名前によって祈るのと同じです。私の名前では引き出せない。「だって、私こんなにも頑張ってやっていて、牧師ですよ、信用できないんですか?」と言っても無理。私の口座ではないですから。イエス様の口座からイエス様の名前でいただく。それが恵みだと言ったらわかりよいでしょうか。

 ところが以前その恵みを無効にするこんなことがありました。後援会費の振り込みを確認しようと四国銀行の入口にあるATMに通帳を入れたら、使えません、と返ってくる。頁を間違えたかなと入れ直しても、使えません、ベロっと。何回やってもダメ。しばらく仕事を怠けて通帳使ってなかったから、ひょっと期限切れで無効になった? と、真っ青になって窓口に行って「この通帳使えんて返ってくるんですが」と見せたら「すみません、これはうちでは扱えません」と返された。「え? 何でですか?」と尋ねたら「うちは高知銀行ですので。四国銀行さんはお隣です」。大汗かいて外に出たら駐車場がくっついてまして、入る銀行を間違えていました。

 皆さん、キリストの恵みを頂いて、入る場所、その恵みが有効に働く場所を間違えるってこと、ないでしょうか。具体的に言うなら、自分はこんなにも頑張って信じているんだからと、自分が主語になってしまう態度に入り込んでしまうと、御言葉が言う「律法のお陰で義とされる」自分を信じましょう銀行に、恵みの通帳を持っていくようなものです。この世の至る所に支店がある自分を信じましょう銀行では、この恵み、キリストの恵みは無効なのです。

 

キリストが身を献げられた目的
 キリストが私たちのため身を献げられたのは、このため! という目的があるのです。それは単に天国という、ともするとボンヤリしてしまう死んだ先のことだけでなく、今! 律法のお陰ではなく、つまり自分の頑張りや自分の正しさのお陰で自分は天国にも入れるほど正しくやっていけると自分を信じるのではなくて、むしろそんな生き方や態度のお陰で、自分ではなく人の気持ちを考えて生きる愛の生き方も、まして神様のお気持ちを考えて生きることもできない生き方をしてしまう。人にも神様にも罪を犯してしまう。

 それでも自分は正しいと、どうしても捨てられない間違った正しさを、だからキリストが十字架で引き受けられたのです。愛に生きられないあなたの正しさを、わたしがこの身ごと捨てるからと、聖なる裁きを身代わりに受けられて、ご自身を、私たちとなって捨てて死んで下さった。それは私たちが古い自分も古い使えない正しさも脱ぎ捨てて、神様の愛という新しい正しさに生きるためです。それが私たちの受けているキリストの恵み、キリストが私たちの救い主として、さあ、この正しさに生きようと、共に生きて下さっている理由と目的です。

 それはもう罪を決して犯さないというのではありません。むしろまた自分を信じたがばっかりに、神様を悲しませることをしてしまった罪を、ごめんなさいと悔い改めて、自分の正しさを捨てて、キリストをくださった神様の恵みの正しさに、何度も何度でも向き直って生きられる道、恵みの道に、私はもういるということです。その道から離れようともするでしょう。くるっと後ろ向いて古い生き方に戻ろうともするでしょう。罪の力、肉の誘惑は強いのです。

 それでもそこにある恵みの道は消えません。希望の光、信仰の光は消えません。そこにキリストが、常に、私たちと共に、そして私たちの前に、私たちの主として、救い主としておられて言われるからです。この恵みを信じなさい。あなたは神様の正しさに生きられる。あなたの罪は赦された。あなたはわたしのものだ。だから一緒にこっちを向いて歩む他ないだろう。こっちがゴールだ。共にゴールするんだと、復活の主が共に歩んで下さっている。

 宗教改革の標語、恵みのみ! これは何よりキリストをくださった神様の決意です。わたしはあなたをあきらめないから、あなたも、わたしの正しさに生きることをあきらめるな、信じよと言って下さる。だから私たちもこの神様の恵みを信じて、私はキリストを無にはしませんと歩み続けていくのです。 (高知東教会牧師)

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