1967年より、日本基督教団は毎年2月11日を「信教の自由を守る日」としている。そもそもこの日は建国記念の日として祝日に定められているのであるが、これはそれ以前には「紀元節」と言われ、天皇制を中心とする統一国家が成立したとの建国神話をベースとして定められるに至ったものである。
何故教団ではこれに異議を唱え、むしろこの同じ日を「信教の自由を守る日」としたのか。それは、戦前、天皇制の名のもとに信教の自由が奪われてきた歴史があるからである。「自由を守る」というからにはその自由が抑圧されてきた歴史をここに顧みざるを得ない。それは天皇を現人神として祭り上げ、その宗教的枠組みたる国家神道への帰依を促すための宮城遥拝を強いられ、皇国史観の養成と戦争協力のための挙国一致体制がつくりあげられてきたのであった。
敵性宗教とみなされてきたキリスト教会は国家の懐柔によって骨抜きにされるべく、信仰対象を弱められ、また宗教団体法が成立していく中で、キリスト教諸派はもろともにまとめ上げられ互いを監視下におく態勢が作り上げられたのである。こうした中で起きた悲劇が六・九部の受難である。非戦平和を訴えたキリスト者が治安維持法によって数多く投獄され、命を失っていったのである。
こうした悲劇は国内にとどまらず、朝鮮半島への侵略についても同様であった。
今から5年ほど前の2012年8月の光復節に韓国(天安)の独立記念館を訪れた。ここには神社参拝を強要された朱基徹(チュ・キチョル)牧師の殉教の出来事や、堤岩里(チェアムリ)教会焼き打ち事件の経緯が詳しく展示され、頭で理解していたことを超える壮絶な悲惨な経験を韓国民衆に強いていたことを知らされ悲しみと苦痛に胸うたれる思いであった。
私どもは、かつての時代、国家に迎合し、その戦争施策に同調することにおいて、「信教の自由を失う」経験をし、信仰の根拠をないがしろにし、アジアの隣人に苦難と悲しみを強いたのである。このことに深く心の痛みを覚え、罪責の告白と、罪の赦しを祈りつつ、二度と同じ轍を踏まぬよう心しつつありたいものである。全国の「信教の自由を守る日」の集会の上に神の豊かな祝福がありますように。
(森下 耕 社会委員長)