幼稚園の庭に大きな桜の木が4本ある。今、新緑が深まり、子どもたちのために大きな木陰を作っている。涼しい風を受け、子どもたちは元気に遊んでいる。この大きな木陰は当然一朝一夕に出来たものではない。先達が小さな苗を植え大切に育ててくれたからこそ、桜は神の恵みを受けて大木となった。子どもたちのために充分その役割を果たしているのである。子どもたちは花を楽しみ、木陰で遊び、鳥の声を聴き、美しい落ち葉で様々なものを作る。冬の寒さの中で、木の周りを走り回って遊ぶ。
この桜もやがて年老いてゆくだろう。この素晴らしい環境を子どもたちのために維持するには、今の桜を大切にしながら若木を将来に向かって育てねばならない。桜は子どもたちと遊びながら年を重ね、神の御業のために成長していくからである。
考えてみれば幼稚園は子どもたちが自らの将来に備える場であり、将来の社会を創るための備えの場である。神の愛される存在として子どもたちが大きく成長するようにと祈りが込められる場である。子どもたちも桜も神の祝福の中で日々をしっかりと生き、将来に向かって行く。
この幼稚園を支える教会の歩みもまた、主の御手の内に在る。今、主の働きを担う人々の礼拝と信仰生活が大切にされてこそ将来を担う人々が育っていく。教会の歩みこそ神の祝福と力が途切れずに注がれる場である。(教団総会副議長 佐々木美知夫)