築後60年の教会堂や付属の建物を歩くと、至る所で聖書の御言葉に出会う。額に入れて壁に掛けてある書だけでなく、たくさんの場所に御言葉が記されている。教会の長い歩みの中で、誰がそこに貼ったのか分からないものが数多くある。CS分級室の壁などには御言葉を書いた紙が多く貼られている。子どもたちが御言葉に親しむようにと祈りながら記したのであろう。また日めくりになった御言葉カレンダーのようなものも教会のあちこちにある。時々、誰もがその御言葉の前で立ち止まることになる。自分の愛唱聖句であったり、自分の心に響く御言葉であったりするからである。そしてあらためて聖書を手に取り、その御言葉を味わうことにも繋がっていく。普段何事もなく聞いていた御言葉が急に自分に迫ってくるという経験も、多くの人々に共通のものである。
考えてみれば信仰生活は常に御言葉と共にある。信徒の中で、なかなか聖書が読めないという言葉も聞くが、日々聖書を読む工夫も多く為されている。御言葉を喜び、御言葉に生きる生活は私たちの人生の基本である。教会堂に多くの御言葉が掲げてあるのは、先達の証に他ならない。この御言葉に生きた人がいる。この御言葉に喜び、生かされた人がいる。子どもたちにこの御言葉を贈った人がいる。教会は御言葉に生きる喜びが語りかけられる場所なのである。
(教団総会副議長 佐々木美知夫)