外科医師の丹羽さんは、がんの患者さんを診る務めに「精神を尽くし、思いを尽くし」て臨んでいる。診断・治療と同時に、患者さんと家族を安心させるためには、きちんとした説明が前提となる。
決して気休めではなく、決して嘘ではなく、言葉を選びながらも患者さんの希望に沿った形で説明をする。がん告知はもとより、時には再発や、積極治療が困難になったなどの悪い話をすることがある。
そのとき「なぜ」と問われても、答えようがない。症状には医学で対処するし、痛みの管理ができなくなれば、鎮静という切り札もある。しかし、「生きていることに意味がない」など、スピリチュアルな痛みの訴えには、途方に暮れる思いがする。それに答えることは、自分の役目ではないとも考えてきた。
患者さんが苦しみを訴えるとき、実は、相手を選んでいる。それが自分に向けられていると気付いたとき、とにかく逃げないと覚悟を決めた。限られた時間でも、しっかりと話を聴くようにしてきた。
かまくらで有名な横手の市立病院は、国内自治体病院では最も長い歴史のある一つである。先輩たちの努力と、住民の支持のおかげである。ただ、院長として勤めていると、見たくない書類もある。差出人記載のない手紙など、本当に見たくないものである。それでも、自分と比べものにならない程の苦しみを負われた「主が共におられる」ことに励まされて、奮い立っている。
院長室の壁には、「神よ、われらに与えたまえ、変え得ぬことを受け入れる平静さを。変えるべきことを変える勇気を。そしてその二つを見分ける英知を」との、ニーバーの平静を求める祈りを掲げている。窮地に陥ったとき、人は何を支えにできるのか。主に立ち返ることのできる「強み」を実感させられている。