1967年以来、私たち日本基督教団は、この日を「信教の自由を守る日」として、各地で2・11集会を開催し、「建国記念の日」の祝日に対して異議を訴え続けてきました。(教団HPより)
であるから、そもそも「対立」がこの日の設定の根拠である。国の姿勢・天皇制・それの押しつけ、それへの抵抗、レジスト、プロテストを中心として各地集会も実施されてきた。
しかし、抵抗・反対とは「怒り・憎しみ」による声で満ちて終わりかねない。「自由の霊」(詩編51・14)により支えられ、満たされるべき我らの信仰の歩みは本当にそれで良いのか。
まだ神学生の頃、夏期実習で四国に派遣された。そこでお世話になった伝道所の先生と共に海に行く機会があった。海は綺麗で、特にそこに自由に泳ぐ魚たちはまばゆい輝きを見せていた。その時、真っ青に光る魚、「コバルトルリスズメ」を見つけ、網で数匹を捕獲して伝道所に持ち帰った。子供たちや他の方にも綺麗な魚の姿を見せたかったからである。
ところが、水槽に入れると、あのブルーの輝きが失せていた。青は青だが、少しくすんだ色になってしまっていた。
「弱ってしまったのかな」と心配になり、翌日、元の海に帰すことにした。
そして海に魚を放つと驚いた。ルリスズメたちは、あのブルーの輝きを一瞬にして取り戻したのだ!
水族館の専門家によれば、「海に戻った緊張感から色を取り戻す」ようだが、幼子のような思いで見れば、明らかに魚たちが喜んでいるように見えた。緊張感はあるが、あるべき場所に戻って自由に活き活きしていた。本当の「自由」とはそのようなものではないか。
ただ縛りが無いとか、好き放題やれるとかではなく、どんな状況にあっても、いや緊張感があるからこそ、「信仰」においては何者にも束縛されない歩みがある。
真実に自由なお方、主イエスが共におられることに「感謝しながら歩む」人生には、果てしない自由な未来が広がっている。
(社会委員会 芳澤 信)