16年度実行予算審議に先立って次の2議案、沖縄宣教連帯金関連議案32号(提案者・大阪教区)、35号(兵庫教区)、17年度原予算審議に先立って議案48号、伝道資金規則改訂(九州教区)を先議した。
沖縄宣教連帯金議案は、いずれも、教団が2010年度以降、沖縄に交付する宣教連帯金を年額40万円に減額しているのを従来の120万円に戻すことを提案した。宣教連帯金は合同議定書に定められており、沖縄教区が教団と距離を置くとしていることを理由とする減額は認められない、としている。これに対して「沖縄合同関連議案が廃案となった33総会以前のことを踏まえていない」、「沖縄教区が距離を置く理由はない」、「謝罪すべき主体が曖昧」等の反対意見、「距離を置く沖縄の苦悩を受け止めると言いながら戻ってくるべきとは傲慢」、「金銭による圧力で対話のテーブルに着けようとする手法は、沖縄に基地を押し付けるのと同じ」、「共に話し合う第一歩として連帯金を元に戻すべき」、「自分たちの自己検証が必要」という賛成意見が述べられた。挙手による採決で32、35号両議案、それぞれ355名中賛成151名で否決した。
伝道資金規則改訂案は、現行規則が申請制で資金運用していることから配分制に変更することを求めている。特に現行規則10条が伝道資金小委員会による審査を定めている点を、改訂案は計算式に基づく一定配分を提案した。改訂に反対する意見として「教区活動連帯金が崩壊した理由、既に連帯が自明ではないことを考えていない」、「計算式が教区の実情を反映していない」等、現住陪餐会員数比率を計算しない教区負担金賦課に改訂することで北海教区増額、東京教区減額となる指摘があった。一方、改訂に賛成する意見として「現行の運用指針を常議員会が決定することに心配がある。運用指針が定める教憲教規に違反することをどこが判断するのか」、「既に伝道資金設置にて連帯金とは違うものが制定されており、改訂で伝道資金がより良いものとなる」等が述べられた。挙手による採決によって351名中賛成130名で否決した。
これを受け2017年度予算(事業活動収支)3億1654万5320円を可決した。
沖縄教区規則変更申請の関連議案として議案31号(大阪教区)、34号(兵庫教区)が提案され、両議案とも沖縄教区からの規則変更申請を教団が認めるよう求めた。教団は、2011年、沖縄教区総会で可決された教区総会の伝道所信徒議員資格を認める規則変更申請を、信仰職制委員会答申に基づき退けた。審議は主に答申を巡り討議された。採決の結果、355名中、31号賛成149名、34号賛成148名で否決した。
その他、「軍事力によらない平和」(議案36号、兵庫教区)、「セクシュアル・ハラスメント防止対策・被害者支援」(議案37号、兵庫教区)を時間内に上程、審議、いずれも賛成少数で否決した。残り7議案を時間切れによって審議未了廃案とした。
沖縄・米軍北部訓練場ヘリパット移設に反対する吉田慈牧師(林間つきみ野)逮捕に関して、議長団は、現段階で逮捕が「不当」とすることは厳しいと判断した、と報告。今後の対応を議長一任とした。
(新報編集部報)
狭山事件の即時再審開始を求める件」を可決
議案第46号「狭山事件の即時再審開始を求める件」が全会一致で可決された。この議案は、具体的には、第40回日本基督教団総会が、東京高等裁判所の裁判長宛に再審開始の要望書を提出することを求める議案である。
議案説明に立った東谷誠議員(大阪)は、「教団4役にはこの件に関して理解を頂き感謝であり、また、多くの教団関係者が署名活動に参加してくださり感謝である。今から53年前、狭山市で女子高校生が殺害された。警察は犯人と思われる人物と接触するが取り逃がし、その後犯人逮捕に至らぬ中で、近隣の被差別部落が狙われ、石川一雄氏が逮捕されることとなった。その後53年間、氏は無実を訴えている。私も多くの人々同様、現場に足を運び、無実を確信している。これは、部落差別による冤罪事件である。私たちは早くから支援活動を行っているが、氏はすでに77歳となっている。氏の健康面等を鑑みつつ、ここが踏ん張りどころと、宗教の枠を越えて支援者は励んでいる。無実と信じるが、この議案は無実を訴える議案ではなく再審開始を訴える議案である。傲慢かもしれないが、全員賛成でこの要望を出したいと強く願っている」と、議場に訴えた。結果、今総会中唯一の、全会一致での議案可決となった。(小林信人報)
礼 拝
全能の神を信ず 開会、逝去者記念、聖餐礼拝を献げる
総会中3つの礼拝を献げた。
開会礼拝では、川島直道牧師(錦ヶ丘教会)が創世記18章9~14節、マルコによる福音書10章23~27節から、「全能の神を信ず」と題し説教した。
「『財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか』との主の言葉に、弟子たちは、『それでは、だれが救われるのだろうか』と語る。救いの可能性がないという人間の限界を突き付けられている。しかし、人間の可能性が全く断たれるところで、主は弟子たちに「子たちよ」と語りかけ愛をもって招く。震災を経験する中、私たちは人間の限界を知らされている。しかし、私たちは限界、絶望、弱さの中でこそ神の全能の御業を見る。主イエス・キリストは十字架の死に身を置かれ、神から見捨てられるという最大の絶望の中から救いを始めてくださる。教会はキリストの御体として、絶望からまことの命へと突き抜けている。全能の神を信じる信仰に支えられ、教団は人間の業ではなく神の御業が現される教会となっていく」。
2日目の逝去者記念礼拝は、秋山徹牧師(上尾合同教会)が、コリントの信徒への手紙一3章5~17節から、「火の中をくぐり抜けて来た者のように」と題し説教した。また、この2年間に逝去した、教師113名、宣教師16名の名前を読み上げた。
「パウロは、『誰につくか』ということで争っていたコリント教会を、十字架の主の命から遠くなっていないかと叱責する。キリストを土台とする働きは、人それぞれに異なり多様であるが一つの働きである。それぞれの働きの評価は、人間ではなく最後の審判の神の火によってなされるが、パウロは、『火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます』と語り、キリストによる和解の十字架、贖罪の信仰に導く。最後の時にも、それは明らかにされる。贖いの主を信じる信仰の中で、逝去者一人ひとりを憶えたい」。
3日目の聖餐礼拝では、岡村恒牧師(大阪教会)が、ローマの信徒への手紙7章15~25節から「死の体からの救い」と題して説教し、共に聖餐に与った。
「パウロは神への感謝を語る直前に神の前での絶望の嘆きを記す。パウロは律法に生きていた自らの歩みの中にある罪を知らされた。マルティン・ルターは、神の前に生きる罪人の姿を『悔い改め』という一句で捉え確かな救いを見出した。主イエスは、私たちに代わり十字架で神に見捨てられ一切の罪を背負った。主の十字架を知る時、信仰者は、神への感謝を叫び出す。信仰の先達は主を待ち望み、恵みの食卓に着くことを信じていた。
私たちも主イエスの肉であるパンと主の血が注がれた杯に与る毎に、神が主イエスによって、滅ぶべき私たちを永遠の命に生きる者に変えてくださったことを思い出す。赦しの恵みをかみしめながら主の食卓に招かれ、主の食卓を宣べ伝えていきたい」。(嶋田恵悟報)