「牧師家族を含めて数世帯で成り立つ小教会ですが、1954年の伝道所設立以来、近隣教会と協力して浜通り北部地域の伝道を担ってきました。かつて設置していた幼稚園の名称から、『みくにさん』と今も地域では親しまれています」(東北教区・教会救援復興委員会「会堂・牧師館再建復興貸付金を受けた教会の返済支援のお願い」より)。
鹿島の人たちは「みくにさん」と呼ぶことで『鹿島栄光教会』に「お寺さん」とか「お宮さん(神社さん)」とか、ある意味で同じような親しみを感じているのではないかと思います。
「みくにさん」とは、必ずしも私たちが想っている神の「御国」とは違っているかもしれません。それでも、親しめる存在としての「みくにさん」であり「教会さん」であることは、「反対しない人は味方である」と思うことにしています。
それは同時に、鹿島栄光教会の先人、先達の大きな遺産として受け止めたいと思っています。「みくにさん」と親しみを込めて思ってくださる人たちが、「みくにを来らせてください」と無意識の内にも思ってくださっていると思いたいです。
そうした中で大震災復興祈願を込めた会堂等大改築・新築献堂感謝会を2013年12月3日に行いました。その際に相双・宮城南地区教会の方々、気遣い祈ってくださっている日本基督教団内外の多くの教会の方々が祝福してくだいました(会堂に入りきれないほどに)。有り難いことでした。
隣組の方々と共に「みくにさん」「きょうかいさん」と親しく思っておられる人たちが十数人おいでくださいました。それらの人たちの代表、代理として数世帯の家族が鹿島栄光教会を成り立たせていると言えます。
「さまざまな事情で『礼拝』に出席出来ない人のうえにも神様の慈しみ、慰めがありますように、…」という祈りは鹿島栄光教会の直接の関係者のためだけではないはずです。「知らざる神さまへ」のような思いで「教会さん」とか「みくにさん」と言っている人たちの様々な立場や思いを大切にすることで、「真のみくに」「神の御前のきょうかい」を指し示すことになると思います。
震災直後から、私の心と頭の中に何かにつけて思い浮かぶのは「慰め」という言葉です。「慰めを分かち合う」ということは親しく睦み合うことであり、お互いの置かれた立場を分かり合うことではないでしょうか。
救い主イエスにあって「神の国」が近づいたと宣言し、指し示すということは…。
見かけはともかく、「終末期」を思わせる今、私たちは少しでも「反対しない人々」の目や心に救い主イエスとはどういうお方かを指し示す大らかでしかも、丁寧な工夫ができないものかと思っています。(東北教区・鹿島栄光教会牧師)