この10月、1年前フロリダで逝去されたオールデン・エヴァルト・麻修須(マシュウズ)先生の遺骨を、ずっと遺言されていた通りデリス夫人が眠る境南教会墓地と青山墓地の宣教師墓所に、親しかった者たちが集まって埋葬することができた。
私が武蔵野の境南伝道所に招聘されたのは、今から47年前の1968年末だった。そこに東神大の熊沢義宣先生と教団幹事の麻修須御家族がおられて私は様々な局面で両先生から学び、励まされた。
麻修須先生はシカゴ大神学部から、当時UCBWM(今のUCC、米国組合教会と複数教派との合同教会)の宣教師で、戦前父君が伝道された中国・福州に戦後派遣された。しかし、間もなく文化大革命が起ころうというころ来日し、京都の同志社を経由し東京の日野台教会(室野玄一牧師)を拠点とした農村伝道神学校創設にストーン宣教師らと共働。同神学校の教壇にも立った。以降、IBC/JNAC・CoC及び教団幹事として卓越の人格、識見をもって奉仕した。この間、先生の生涯のハイライトは、いわば教団のスーパーバイザー、とは言われなかったが、その行動は全く忍者風、神出鬼没で、人に分からず知らせず其処此処の牧師・家族・教会役員から、CPE(臨床牧会教育者)として「聞き」に通い続けたことだ。だから先生と教会生活は常に一緒であったのに、周囲が先週の礼拝には見えなかった等と尋ねても知らぬ存ぜぬだった。今日、宣教委員会が考えている「牧会者と家族のための相談室」等の先駆けだった。(教団総幹事 長崎哲夫)