矢野肇さんの信仰のルーツは曾祖母の時代まで遡る。曾祖母は江戸時代生まれのクリスチャンだった。子ども時代、曾祖母が天眼鏡で聖書を読んでいた姿を憶えているそうだ。父方の祖父は熱心なクリスチャンで、伝道にかなり力を入れていたようだ。家にあった仏壇も処分されたそうだ。母方の祖父は松山番町教会からは離れたところに住んでいたが、熱心に教会に通った。
両親も松山番町教会で洗礼を受けた。父は明治生まれで、7人の兄弟姉妹の長男であり、教員であった。結婚後、日本で教員をしていたが、1938年に満州の奉天市(今の中国瀋陽市)に移住した。
矢野肇さんは、満州の奉天市で1940年に誕生した。満州のことは幼少であったため、あまり記憶がないが、終戦後、ロシア兵3人が家へ靴のままで銃を肩に入って来て、物を物色して、家中のものをひっくり返し、父と妹と肇さんは呆然として恐ろしかったこと、そのとき母は床の下に隠れ逃れていたことを憶えている。
1946年に満州から引き上げて帰った。小学生の頃、母に連れられて松山番町教会の日曜学校(教会学校)に通っていた。父が教員であったため、その影響で教員めざして愛媛大学に入学した。一般教養の時、YMCAに入会し、キリスト教について学んだ。その頃、学生運動も盛んで60年安保闘争の真っ最中。全学の学生がデモに参加したことがあった。学生のとき、松山の日本基督教団の教会をあちらこちらへ行ってみた。
教員となり、仕事の忙しさで当分お休みしていたが、結局両親が所属する松山番町教会に落ち着いた。そして1969年に松山番町教会の宇都宮充牧師より洗礼を受けた。結婚式も松山番町教会で挙げた。妻はクリスチャンではないが、理解は示してくれている。現在はこの教会で礼拝へ出席できることに感謝している。
松山番町教会員、役員、墓地委員長、バザー委員長。