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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4805号】東日本大震災とアジア学院 荒川 朋子

2014年9月13日

キリストの愛に基づく世界構築のため

 アジア学院は創立41年目を迎える、開発途上国の農村指導者を養成する小さな学校である。「ひとといのちを支える食べものを大切にする世界を作ろう-共に生きるために-」という理念を掲げ、有機農業で食べものを共に生産し、共に食すという人間にとって最も本質的な活動を基盤にして共同生活を送っている。

 研修と生活は多文化、多宗教、多言語の環境の中で行われ、「イエス・キリストの愛に基づき、公正且つ平和で健全な環境を持つ世界を構築する」ために有用な人材を、生活が非常に困難とされる世界の農村地域に輩出することを目的に事業を続けている。これまでの卒業生は世界55カ国に1273名を数える。今年(42期)は30名が16カ国から招聘され、現在様々な研修に積極的に臨んでいる。

 

ベクレルセンターの開設

 2011年3月の東日本大震災から3年目に当たる今年3月に被災地仙台で開催された「東日本大震災国際会議」(日本基督教団主催)で、私は発題者としてアジア学院の被害とその後の対応、特に放射能汚染への対応と対策について発表する貴重な機会を与えられた。それは栃木県北部に位置する私たちのキャンパスがこの震災で震度6の揺れに見舞われ建物のほとんどが被害を受け、さらに東京電力福島第一原発の水素爆発が引き起こした放射能汚染の被害を受けたからである。福島第一原発からアジア学院までの直線距離は、110㎞であるが、地形的にまたその頃に降った雨の影響で、いわゆる放射能汚染の「ホットスポット」が市内にいくつも存在するような場所に私たちは住むことになってしまったのである。この原発事故による放射能汚染の危険というのは、放射能が見えるわけでも臭いがするわけでもないので、闇が迫ってくる恐怖に例えられる。避難するべきか否か、1ヶ月後に迫っていた研修事業の開始を実施すべきか否か、それよりもアジア学院の事業自体の継続が今後叶うのかどうか等、どれにも明確な判断ができずに私たちはただ右往左往するしかなかった。情報が錯綜し、健康被害についての不安も膨むばかりだった。

 そんな中、同じ栃木県北部に住む、かねてから親交のあった藤村靖之氏(工学博士・発明家)が近隣の住民に向けて書いた、事故についての解説と今私たちがどう対処すべきかということを記した11ページに亘る文書がメールで送られてきた。事故から1週間後のことだった。この解説文は分かりやすいだけでなく、地元住民の視点で書かれていたために、具体的で説得力があった。当時のパニック状態の私たちにとってまさに暗闇を照らす光であった。私たちは藤村氏が率いる「那須を希望の砦にするプロジェクト」という市民運動に発起人のひとりとして協力し、生活する場所の空間線量や、食べ物、飲み物、土等、気になるものを全て住民自身で測定するかつてないプロジェクトに参加した。最大で500人が参加したこのプロジェクトでは、数ヶ月のうちに非常に多くの地点、また食べものや飲み物のデータが集計され、その年の10月には私たちの住む市町村に報告と提言書を出すまでに至った。私たちはその測定結果を元にさらに学習を積み重ね、那須で住み続けるため、事業を継続するための方策を、プロジェクトに参加した住民の皆さんと一緒に考えていった。

 こうしてアジア学院はその年の夏までには独自の放射能汚染対策を立てることができた。食べものの放射性物質の独自基準(食べもの37ベクレル/kg、米・パン20ベクレル/kg、水20ベクレル/kg)を設け、農場の除染対策(深耕、表土除去、ハウス栽培、代替肥料の施肥、代替作物栽培等)を次々に実施した。そして2012年1月には、JEDRO(日本キリスト教協議会エキュメニカル震災対策室)から寄贈された放射能計測器(ドイツ、ベルトールド社LB2045シンチレーション・スペクトロメーター)を有する市民測定所「アジア学院ベクレルセンター」を開設することができた。ベクレルセンターは、近隣の住民の方々と立ち上げた「那須野が原の放射能汚染を考える住民の会(NRARP)」という団体のメンバーが測定ボランティアとなって運営をしてくださっている。この測定所ではアジア学院の農産物はもとより、持ち込まれたものは拒まず何でも測定し、積極的にデータ収集を行ってきた。市で行っている計測は家庭菜園の農作物の持ち込みに限るなどの制限がある。一方で私たちの計測するものには制限がなく、計測時間も長く、計測後の結果の詳しい説明を行っているので、開設から2年半で2千件以上の検体の持ち込みがあった。

 これまでの計測と分析から分かったことは、検体の約7%が政府基準の100ベクレル/kg を超えているということで、まだまだ油断は許されないということだ。また同じ種類の食物でも採れる場所、時期、天候、使用した水や土によって値は変わるので、「測ってみなければ分からない」ということだ。

 放射能被害は、私たち人間が生活する上で必要な自然の循環を破壊した。特にアジア学院が行う有機農業は、自然の循環に則したものであるため被害は甚大だ。この自然の循環を元に戻すのには膨大な労力と時間とお金がかかる。しかも完全に元に戻すことはこれからも不可能であろう。事故から3年半経って学院の畑で栽培される作物に含まれる放射性物質は微量になった。しかし耕作しない山林で採れる山菜、きのこ類、いのししなどの野生動物等からは今でも驚くような数字が出ることがある。さらに木灰、針葉樹の葉、樋に溜まった土などからも今でも非常に高い値がでる。一時は住民の放射能汚染への関心も薄れ、ベクレルセンターに持ち込まれる検体数も減少した時期があったが、この夏は検体量が増加し、まだまだ関心を持ち続け注意して生活している人たちが身近にいることが分かった。私たちは最低でも10年間(あと7年半)はこのベクレルセンターを継続し、未来に役立てるためにデータの蓄積を行いたいと思っている。また東電に損害賠償を求める原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)への集団申し立て行なうための準備活動「栃木県北ADRを考える会」に協力を始めたところである。

 

いまだ問題の只中に

 「東日本大震災国際会議」での発表の最後に、私は栃木県出身の政治家で日本で最初の環境保護者と言われ足尾銅山鉱毒公害問題と戦った田中正造の有名な言葉、「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」を紹介させていただいた。アジア学院の研修では毎年足尾に足を運び、荒れた山々と村々を実際に回ってこの言葉を胸に刻もうとしているのだが、震災後はこの言葉が以前とは違った重みをもって、まさに目の前の現実に対して訴えかける生きた言葉となった。 

 私たちはいまだ問題の只中にいることを日々実感している。
(アジア学院副校長)

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