議員資格を巡り冒頭にて議論
神奈川教区
第132回神奈川教区総会は、6月28日、清水ヶ丘教会で正議員235名中178名出席で開催された。
会議冒頭において、北村慈郎氏の議員資格を問い質す発言があり、「緊急で常置委員会を招集し、北村氏の議員推薦を取り消したものを議場に提出。あるいは、推薦を保留とし、教区総会開始後に議論したい」との提言がなされた。平良愛香教区総会議長は、「北村氏の議員資格を問い、推薦議員から外すことを求める緊急動議」として受け止め、議場から意見を求め、採決することを判断。「教規第143条に抵触するため認められない」、「神奈川教区総会での決議では、北村氏への戒規という教団の判断は間違っているとの立場にある。この立場にありながら、北村氏を議員と認めないことはできない。規則を軽んじるわけではないが、我々は規則のもとにではなく、神の義のもとにいるのである」との賛成反対の意見が出される中、平良議長は組織会前の議論であったため、補助書記のみを選任し、議場の人数を数え、188名中58名の賛成によって、緊急動議は少数否決された。
冒頭の議論以外は、概ね淡々と進められた総会の中で最も活発に意見が交わされたのは、長崎哲夫総幹事の教団問安使挨拶時であった。読み上げられた教団総会議長挨拶の文言に留まらず、教団総会の選挙の在り方にまで議論は及んだが、北村氏の聖餐問題を内容の背景に含んだ意見が多くを占めた。これらの応答に先んじて長崎哲夫総幹事は、「教憲教規の重さを見過ごして議論できない」との姿勢を明らかにして応答に臨み、北村氏の問題以外にも未受洗者配餐をする教会があるのではないかとの質問には、他の教会での未受洗者配餐を示唆しつつも、「北村氏は公の出版物で立場を明らかにした。そのことを教団は遺憾に思い、北村氏と教団は何度も交渉した。戒規を好き好んで行っているわけではない」と応じた。この答弁の最中、議場からは北村氏と教団の丁寧な交渉に到っていないことを非難する声が相次いだ。
また、第39回教団総会に「教団として特定秘密保護法の廃止を求める声明」を出すことを求める議案は、「こういう案件を教団総会へ教区が提出すること自体反対」、「今期教団総会で声明を出さなければ、特定秘密保護法の施行に間に合わない。」との意見が交わされる中で、155名中108名の賛成で可決された。
なお、開会礼拝は逝去教師6名を憶えつつ献げられ、補教師1名の准允に関しては、所信表明及び教区形成基本方針に対する見解を聞き、この度の教師検定試験が教区から見て不当とまでは言えないことを議場に確認した後、可決。また、横浜本郷台教会が伝道所から第二種教会設立申請し、可決された。
教団総会議員選挙結果
【教職】古谷正仁(蒔田)、平良愛香(三・一)、藤掛順一(横浜指路)、森研四郎(鎌倉)、河合裕志(新横浜)、尾毛佳靖子(戸塚)、鈴木義嗣(港南希望)、岩崎隆(六ツ川)、宗野鏡子(田園江田)、森田裕明(横浜本牧)、星野健(三田)、三宅宣幸(元住吉)、岩橋常久(紅葉坂)
【信徒】望月克仁(鎌倉雪ノ下)、中林克彦(鎌倉雪ノ下)、塚本智子(横浜指路)、都筑正顕(横須賀小川町)、武田利邦(横浜二ツ橋)、杉森耀子(小田原十字町)、伊東永子(翠ヶ丘)、佐々木雅子(鎌倉恩寵)、斉藤圭美(高座渋谷)、坂井美智子(六角橋)、公文照子(厚木上)、内田眞一郎(横浜明星)、高橋信夫(新丸子)
(佐藤 進報)
17教区総会を終えて
教団総幹事 長崎哲夫
4月29日に開催された北海、四国教区を皮切りとした本年度教団17教区総会は、去る6月28日、神奈川教区総会を最後に全て終了した。
この間、教団三役と総幹事は手分けして各教区への問安使として派遣され、それぞれの教区の安否を問うために様々な事情にある教区総会を訪問した。そうする中で、教団として議員からの問いかけ、意見や要望に耳傾けると共に、問安使として、何よりも教団議長が教区総会議員に訴えたいことを伝えることが大きな任務であり、それを教師・信徒総会議員である方々の理解を得ることに務めた。
其処には温かく迎えられ、十分な交流を得られた所もあれば、その温度差を感じる部分もあって、各教区の実情は一様ではないことを痛感した。
その際、問安使であるわたしたちがいちいち確認し合ったわけではないが、17教区の多様な教区事情において、いくつかの問題を感じたことも事実である。
それら一つ一つの議事内容は、教団新報「教区総会特集1・2・3号」で既報の通りであり、此処では扱わない。ただ、各教区の開会礼拝、按手・准允式その他逝去者記念礼拝等大半は厳粛に行われたものの、中には受付等の混乱か聖餐式もあった礼拝堂内に聞こえる騒がしさを誰も注意しないのはどうしたことだったのか。
また、教団宣教を最先端で担っている教区議長はじめ議長団の会議における議事の仕方や内容とその討議の手順、総会特別委員の奉仕の仕方等、その教区独特の方法や慣例等で行っていることが目に入り気になった。
さて、今春、京都教区は11年ぶりに教団議長を総会前の協議会に迎えて戴いた。しかし、京都教区は教団議長を何故協議会のみにとどめて総会問安使としては総会議場に受け入れなかったのか。その意味は何か。これについて議場には問うてのことか。それならば一連の経緯や理由の説明を聞きたい。
今回わたしは40年ぶりに沖縄教区総会を訪ねた。当時は若い教団新報記者として、本年は教団問安使としてだった。しかし、今回は問安使として初めから拒否されていて、一傍聴人としてであった。
思えば、沖縄キリスト教団と日本基督教団が合同の議定書を取り交わしたのは1969年冬。その直後から沖縄教区はウチナンチュウの立場から「合同のとらえなおし」問題を提起をされた。
その後、幾多の経緯を経て、第33回教団総会(02年)は教団の名称変更及び合同のとらえなおし関連議案の時間切れ廃案にせざるを得なくして以来、教区は「教団とは一定の距離を置く」を10年以上も継続している。この件も沖縄教区は教区として何故そうするのか、世代も変わった議場に明らかにすべき時が来ている。
かくして沖縄教区総会は、開会宣言直前から一議員の発言を巡って議長は開会宣言もせず2時間以上たって点呼をとり始めたことや、教団総会議員選挙の件を何の説明もなく当然のように多数決で否決したのは如何なものか。
いずれにしても他の教区総会にも見られた会議の仕方等諸問題が様々な形であると思われた。
例えば、一般的には、「今総会記録を常置委員会に付託する件」を最後に扱うが、その議事を欠落させたまま総会を終了したとすれば、いったい誰がどういう形で公式記録として次回の総会までに公に出来るのか(総会議事規則第44条)。もしそれが「教区の慣例」等で通常議題にはしていないとすれば更におかしなことになる。
また、議長は、同一議案に一人の人が何回も無制限に発言させるままで良いのか(同規則23条)。あるいは当該議案について議事運営委員がその席から発言するのを抵抗なくゆるし、引き続きそのまま委員席にいさせること等は、同26条の議長の扱い同様、もっと神経を使って健やかな会議を構築してもらいたい。