子供ときの夢は何だったか、と質問を受けた。飛行機の操縦士と答えた。しかし、小学校に上がる頃から視力が弱くなり、操縦士は目が良くないとなれないと思い込み夢を断念した、と付加えた。質問はさらに、その後の夢は何だったか、と続いた。そこではたと困ってしまった。パイロットになりたいと幼心に素朴に夢を描いていたようには、断念して後、夢を描いてこなかったことにはじめて思い至ったからだ。▼幼いときの夢を粘り強く実現する人生もあるだろう。しかし、いくつもの断念と挫折の中で歩む人生は多いのではなかろうか。震災後、多くの夢が断念されたことであろう。その声に世界の教会が耳を傾け、祈りを合わせた。被災した人々のどれほどの夢が断たれたことであろうか。そこから再び夢を描けるであろうか。頑張れの掛け声だけでは夢は描けない。▼「幻がなければ民は堕落する」(箴言29・18)とは、伝道について学び合うグループで示された御言葉だった。「預言がなければ民はわがままにふるまう」(口語訳)とも訳されている。御言葉により自らを啓示される神がビジョンを示されるということであろう。▼地震によっても、津波、原発によろうとも、時代がどのように変転しようと堅固な基礎が既に据えられていることを御言葉により覚えなくてはならない。