【4795号】神学講演 近藤勝彦 東京神学大学名誉教授 エネルギー政策転換のカイロス-キリスト教神学の視点から福島原発事故を考える-

 私たちキリスト者は、日本のみならず、世界の問題でもある福島原子力発電の事故をどのように受け止め、信仰の歩みを進めていくべきであろうか。キリスト教信仰と神学の使命には、どのような時代や文明の中でも、主イエス・キリストの十字架の死による神の救いを宣べ伝える伝道が、礼拝と共に中心的な位置にある。その上で、教会は世界文明と社会に対し形成的、また批判的に奉仕する課題を負うことになる。それゆえ、教会は必要に応じて「キリスト教世界政策」を科学技術の問題に関しても提示することを使命の中に持つと言える。

 原子力発電に関して、私は三つの点を指摘したい。

 一つは、「核廃棄物」の処理が過剰な負担を将来に負わせる問題である。放射性廃棄物の最終処分場を問題とする原発は、「未完成な技術」と言わざるを得ない。核廃棄物処理の解決は、しばしば「未来の人類の英知」に託すと言われてきた。将来に希望を置くこと自体は、キリスト教信仰からして否定すべきではないが、今解決できない特定問題を未来の人類の英知に押し付けて、エネルギー政策の基軸にすることは、信仰と神学の観点から見て重大な誤りになる。

 もう一つは、現実は「偶然性」の中にあるという問題である。アクシデントが起こることを本質的に持つ世界と人間にとって、事故の予測は決して完璧ではなく、予測不可能な事故があるのが現実である。また、「人為的なミス」は、きわめて人間的な現象である。場合により「甚大な被害」を及ぼす技術は、本質にミスを犯す性格を含む人間には、適正とも、現実的とも言えない。人間の知のあり方として、私たちの知るところは、常に一部分である。絶対的な確実性を必要とするものを作動させ、確実性があるかのように主張するのは、「傲慢の罪」を意味する。もっと人間の知に対する謙遜な認識が必要である。

 最後は、原発事故が既に起きた「歴史的な事件」としてどう受け止めるべきかである。今度の原発事故の扱い方が、歴史の意味を汲むことなく、済し崩し的に原状回復に向かい、その追認に終始するなら、日本は歴史的個性を喪失し、国際世界の中で自己喪失の状況に陥るであろう。

 キリスト教は歴史的宗教である。それは成立が歴史的であっただけではなく、主イエス・キリストにおける神の啓示が「歴史的啓示」であり、主イエスの歴史的出来事が信仰の中核にあり、神の国の時間への到来を信じる意味で、一段深い意味で歴史的である。歴史的な時期を画する決断を、新約聖書は「カイロス」(時満ちた時)という用語で言い表した。決断はカイロスの中でしなければならず、カイロスが過ぎ去ればできなくなる。原発をめぐる政策転換の決断は、すべての原発が完全に廃炉に至るには永い時間が掛かるにしても、「方向の決断」としては「カイロス」の中にあってなされなければならない。チェルノブイリ、福島の事故を通して、原発依存的な文明への警鐘は鳴り続けている。この転換の決断ができなければ、日本は原子力問題に関して「唯一の被爆国」というよりも、放射能汚染水を海に出し続ける国際社会の加害国として「世界文明への警鐘」を鳴らす資格はないであろう。「世界文明への警鐘」を鳴らすことは、福島原発事故を体験した日本国民の、とりわけ日本のキリスト者の重大な責任である。
(文責・新報編集部)

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