【4795号】日本基督教団主催東日本大震災国際会議 原子力安全神話に抗して-フクシマからの問いかけ

 「原子力安全神話に抗して-フクシマからの問いかけ」を主題にした日本基督教団主催、東日本大震災国際会議が、3月11日から4日間、東北学院大学(仙台市)で開催された。

 「教団初の国際会議」(石橋秀雄・教団総会議長)に、海外教会から10カ国(台湾、韓国、スイス、米国、ニュージーランド、カナダ、英、独、インド、仏領ポリネシア)の代表61人が参加した。

「七つの罪 原発・核兵器廃棄」大会宣言

 3月11日午後2時、ラーハウザー記念礼拝堂での東日本大震災3周年記念礼拝に500人が出席し、4日間の国際会議が始まった。引き続き礼拝堂で、姜尚中・聖学院大学教授の記念講演「犠牲のシステムを超えて-ミナマタ・ヒロシマ・フクシマ」が行われ、550人が聞き入った。

 姜尚中教授は、「日本には、『国家教』、国家を神のごとく崇める社会がある。この3年間、だれ一人責任を取り、身を処することをしていない。戦後の歴史の中で、国家の責任が明らかになったことがあるだろうか」と問い掛け、「福島を、日本のみならず、東アジアの共有財産としなければならない。日本でキリスト者ということは、マイノリティであることを、祝福として受け止めることだ。マイノリティが社会の歩む道を指し示す、真の意味での精鋭とならなければならない」と説いた。

 2日目からは、押川記念ホールに会場を移して、英、韓国、中国、日本語4カ国語の同時通訳で実質的な会議がスタートし、最大時250人が出席した。東北学院大学、会津放射能情報センター、アジア学院の報告後、2日目午後、島薗進・上智大学教授の基調講演「原子力発電の非倫理性と宗教からの声-福島原発災害後の苦難の中から」が行われた。宗教学者の島薗氏は、カトリック、ドイツ、仏教など、宗教各派の原発決議を紹介し、「原発問題は、何よりも倫理の問題である」ことを強調し、原発の非倫理性を指摘した。

 3日目午前には、「エネルギー政策転換のカイロス-キリスト教神学の視点から福島原発事故を考える」と題した神学講演が行われた。近藤勝彦・前東京神学大学学長は、「文明と倫理の問題の多くは、特定の一つの回答を唯一絶対と見なすことは出来ない。聖書的信仰は、技術的な停滞を要求するものではなく、信仰は、非科学的なロマン主義を標榜するものでもない」と前置きして、「フクシマ後直面する3点として、⑴核廃棄物の処理、最終処分場という難問を将来の英知に押し付ける責任回避、⑵核廃棄物処理と原発の即時停止が可能にならない限り、原発は本格的実行段階に到達してなかったのではないか、⑶フクシマを忘却の中に葬るか、歴史的事件として、文明・国家・社会の変革を図るのか」を指摘し、「歴史的決断の時を聖書ではカイロス(時満ちた時)と言った。フクシマ経験後の日本人が、世界文明への警鐘を鳴らすことは、日本のキリスト者の重大な責任であろう」と講演を結んだ。

 2、3日目夜、非公開で大会宣言案が論議され、最終日、4日目午前、大会宣言案が配布されて全体会議が始まった。大筋の異論は出なかったが、語句の挿入、修正要求が相次ぎ、確定後の大会宣言は、後日、発表される。

 異論の出なかった大会宣言の重要部分は、「福島事故の根源に、人間の根源的な罪(創世記3章)がある。⑴原子力を自らの技術で安全に制御、管理出来ると過信した『傲慢』の罪、⑵豊かさへの欲望を制御出来なかった『貪欲』の罪、⑶富を偶像化した『偶像崇拝』の罪、⑷安全性やメリットを喧伝して原発の危険性を隠した『隠蔽』の罪、⑸不都合な事実を知ろうとしなかった『怠惰』の罪、⑹放射性廃棄物の処分方法を確立出来ないまま進めて来た『無責任』の罪、⑺事故は人災であり、責任を認めようとしない『責任転嫁』の罪」の7つの罪に、「原発・核兵器廃棄、放射性廃棄物処理の解決」などの努力目標を付記している。

 藤掛順一・会議実行委員(横浜指路)説教による閉会礼拝後、石橋秀雄議長、長崎哲夫総幹事が、感謝の言葉を述べて4日間の会議を閉幕した。(永井清陽報)

 

記念講演  姜尚中 聖学院大学全学教授・東京大学名誉教授

犠牲のシステムを超えて-ミナマタ・ヒロシマ・フクシマ-

 3年前、原発事故が起きて2週間後、相馬市に行き、南相馬から避難して来た方と交流を持った。人々の苦しみに思いを巡らし、ローマ人への手紙第8章18~28節を受け止めた。虚無の力の中で、呻き声を挙げる人とは、今日の犠牲のシステムにおいて虐げられた人々であるとも言える。私たちが明るい光を求めて行く生き方の果てに福島を迎えたということに対する重大な警鐘ではないか。

 日本には、「国家教」と言うべき、国家に抗わず、国家を神のように崇める社会がある。戦後日本は、広島、長崎を経て、平和国家、文化国家として生まれ変わったように思えた。しかし、この3年にわたって、誰一人として責任を取り、身を処するということをしていない。戦後の歴史の中で、国家の責任というものが明らかになったことがあったのか。

 同時に、私たちの中に根深く「科学教」と呼ぶべきものがあった。しかし、先端科学に対する、我々の根強い信仰が、福島の事態において脆くも砕け散った。私は熊本で生まれたが、福島の被害が、今尚、完全な救済が終わっていない水俣の被害と同じようになるのではないかと危惧している。

 3・11から3周年は、第一次世界大戦から百年である。第一次世界大戦は、国家と科学が、どのような悲劇を人類史の中にもたらすかを鮮明にした。国家と科学という、第一次世界大戦が人類史に問いかけた問いが、福島において、原子力という形で現れ、敗北に至ったと理解している。しかし、現在の日本は、新しい形での富国強兵、原子力国家への道を歩もうとしている。

 戦後日本の原子力エネルギー政策では、国策民営という体制のもと原子力村と呼ばれる地域的独占体制が作られた。更に、広島と長崎で被爆しながら、アメリカの核の傘によって国の安全を保障されるという政策を取って来た。原子力エネルギーはそのことの担保であり、日米原子力同盟は、日米核同盟とセットになっている。原子力エネルギーが市場経済の原理に合わないことを知らされながら、自然再生エネルギーへと向かわない理由の一つに、原子力を国家安全保障の要とみなす考え方がある。

 また、原子力村は、過疎化が進む地域経済、人口の流出等、様々な問題を抱えた地方にも組み込まれ、中央と地方が一体をなしながら、安全神話と犠牲のシステムが存続して来た。私たちは安全神話と繁栄の中にまどろんでいた。自然破壊、人間破壊、虚無主義というものが、私たちの社会に巣食っていないかどうか、我が身を顧みて忸怩たる思いがする。

 第一次世界大戦後、関東大震災に続き、恐慌が起こり、1930年代に突入した。同じように、今、ネオナショナリズムと新しい成長への神話が、様々な形で振りまかれている。

 成長神話、国家に呪縛された生というものを見直し、真の意味での平和を構築しなければ、脱原発に向けて歩む道はあり得ない。また、東北地方が、中央の支配のもとで生きるのではなく、独自で再生への道へと歩んで行かなければならない。

 その道は必ず、東アジアの安全共同体へと通じる。韓国、中国における原子力政策が持っている危険性は明らかである。今、この地域を覆うのは、小さな差異にこだわるナルシズムとしか言いようのないナショナリズムの跳梁跋扈である。しかし、私たちは福島を日本のみならず東アジアの共有財産としなければならない。日本に真の意味での市民社会が作られる時、アジアにおいて、自然再生エネルギーへのフロントランナーとして立てるだろう。

 我々キリスト者が、国家、人種、民族の軛から自由でなければならない。日本においてキリスト者であるということは、自ら進んでマイノリティーであることを祝福として受け止めるということである。このマイノリティーが、社会の歩むべき道を指し示す真の意味での精鋭にならなければいけない。(文責・新報編集部)

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