このたび日・北米宣教協力会が解散することによって第二次大戦後の日本基督教団と北米諸教会との宣教協力の歴史が一つの区切りを迎えることとなった。
第二次大戦中の日本基督教団は国際的に孤立状態であり、政治的弾圧と戦災によって深く傷ついていた。戦後間もなく米国の諸教会は交わりと援助を開始し、一九四七年四月、北米八教派は、合同教会としての日本基督教団と協力する意志を持って「基督教事業連合委員会」 Interboard Com-mittee on Christian Work in Japan(略称IBC)を組織した。会衆派基督教会、ディサイプルス教会、福音改革派教会、福音同胞教会、メソジスト教会、米国長老派教会、アメリカ改革派教会、カナダ合同教会である。
これに対応して日本側では翌年二月に、日本基督教団、日本基督教教育同盟(後にIBC関係学校協議会となる)とIBCとで「内外協力会」Council of Cooperation(略称CoC)を発足させ、一九五二年には日本基督教社会事業同盟がこれに加わった。
それから十余年の間、IBCはCoCを通して、日本における教会とキリスト教学校、社会事業の戦後の復興とエキュメニカルな交わりと宣教に、実に大きな貢献をしてきた。
建築支援、宣教師派遣、海外留学生の受け入れ、宣教のスペシャル・プロジェクトの推進等、戦後の基督教の大きな進展にIBCが果たした役割はまことに大きいものがあった。
しかし一九五〇年代の終わりごろ、日本の教会が立ち直り、またエキュメニカルな教会関係において対等なパートナーシップが自覚されるようになり、そこから内外協力のあり方、宣教師の働らき、協力資金等についての見直しが始まった。特に日本宣教における教団の経済的自立と宣教協力の相互性が求められるようになった。更に一九七〇年代の教団紛争は内外協力会の潤活な運営を妨げた。
このような情況から一九七三年にIBCは、日本基督教団をもその正式構成員とする「日・北米宣教協力会」Japan North American Commission on Co-operative Mission(略称JNAC)へと発展解消した。その後の加盟もあって、最終段階ではその構成員は、合同メソジスト教会、米国長老教会、アメリカ改革派教会、基督教会(ディサイプルス)と米国合同教会(この二つは海外宣教局を合同)、カナダ合同教会、カナダ長老教会、日本基督教団、在日大韓基督教会となっていた。日本基督教団の場合は、これまでの歴史的経緯もあってCoC(現在は教団とCoC関係学校協議会と日本キリスト教社会事業同盟によって構成)が直接の窓口となっていた。
JNACの三十年の歩みは、宣教師派遣を中心とする内外宣教協力と、指紋押捺、沖縄基地、女性の連帯等、人権や環境問題への取り組みの協同などに大きな働きをしてきた。
今後はJNACの枠組みは、執行機関ではなく諮問機構となるので、教団としては、北米各教派と一対一の教会的宣教協力関係を築いてゆくことになる。世界宣教の一翼を担うものとしてよい形成がなされるように願うものである。
(世界宣教協力委員会 大宮 溥報)