インスタグラムアイコンツイッターアイコンyoutubeアイコンメールアイコン
日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4612号】メッセージ

2006年10月14日

フィリピの信徒への手紙 1章12~14節

前進する福音のために

七條真明

「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい」。
フィリピの信徒への手紙は、使徒パウロの獄中書簡の一つとして知られています。捕らわれの身となった、そのところでパウロが書いた手紙です。パウロの身に起こったこと、伝道者パウロが捕らえられたことは、どんなに教会の人々を悲しませ、落胆させる出来事であったろうかと思います。
しかし、パウロが書いたこの手紙は、「喜びの手紙」と呼ばれる手紙でもあります。「喜びなさい」という語りかけが繰り返しなされ、落胆する者たちを励まします。手紙をしたためた者が捕らわれの身というマイナスの状況にあることなど微塵も感じさせないほどに、不思議な明るさがこの手紙には満ちています。

・行き詰まりの状況の中で

私がスタッフの一人として開催の準備に関わっているある集会のテーマについて、準備のための委員会で話し合いをしました。
誰からともなく「『信仰の継承』をテーマにしてはどうか」という意見が出され、他の委員も賛成して「信仰の継承」をテーマにすることがすぐに決まりました。もちろん私も重要なテーマとして積極的に賛成しました。
「信仰の継承」と一口に言っても、そこで一つの家庭における親から子への信仰の継承を考えるか、もっと広く次の世代の人たちへ福音を宣べ伝えることを考えるか、ということがあるかと思います。ただ、そのいずれを考えるとしても、前述の委員会のずっと後になって改めて思わずにはおれなかったことがあります。 それは、少しうがった見方をすれば、「信仰の継承」というテーマがすんなりと決まるということの中に、現代の日本の(おそらくは世界の)教会が直面している一つの状況が非常によく現れているのだということです。
つまり、「信仰の継承」が思うようにうまく行ってはいない、むしろ非常に厳しい状況がある、そういう認識を私たちの誰もが共有している、そのことをよく表しているように思ったのです。簡単には乗り越えがたい壁にぶちあたって、前に進むことができない行き詰まりを誰もが感じている。
考えてみれば、「信仰の継承」ということを巡っても、私たちを取り囲むさまざまな事柄の中に、マイナスの状況を見出そうとすれば、その材料に事欠くことはありません。教会においても「高齢化」という言葉が頻繁に聞かれるようになり、教会学校や若者への伝道の不振が繰り返し言われることも、私たちが容易に前に進めないと感じている壁にぶちあたっていることをよく表しています。
将来への展望も簡単には開けない思いがあります。世界を見るとき、どんなに私たちの心を暗くさせるような出来事が毎日のように起こることでしょうか。マイナスの状況しか見いだせない。そのような思いを誰もが抱くのではないでしょうか。

・それでも福音は前進する

しかし、そのような中で、本当に小さなことの中に現れている福音の真実に触れて、ハッとさせられることがあります。
我が家に三人の幼い子どもたちがおります。普段の生活においてもそうですが、教会学校の礼拝に出ても、なかなか集中できずに、すぐに歩き回ったり騒いだりしてしまいます。叱ったりなだめたり、いろいろしますが親の思うようには行きません。「果たしてこの子たちは、信仰の歩みをする者になるだろうか」、そういうことをついつい考えたりしてしまいます。
しかし、ある時、家の中で遊んでいた子どもが、礼拝の中で歌われた讃美歌を一人で口ずさんでいるのに気が付いて、愕然としました。自らの不信仰を指摘されたような思いでした。礼拝において臨んでいてくださる神の御力をなめていた自分に気付かされる思いがしました。まだ目に見えて現れてはいない、そのところで確かに前へと進んでいるものがあることに気付かされたのです。
パウロは獄中にあって、フィリピの信徒への手紙を書きました。パウロが捕らわれの身となったことによって落胆していたであろう教会の人々に、「喜びなさい」と語りかける手紙を書き送りました。パウロは語ります。「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい」。
パウロが獄中で、捕らわれの身になったそのところで見ていたものは、捕らわれの身になっている自分の状況よりも、もっと確かに福音が前進する力を持っているということでありました。自分を取り囲んでいる動かしがたい壁も、キリストの福音が前へ進もうとする力を押しとどめることは出来ない。
教会の人々を落胆させていたに違いないマイナスの状況さえも、かえってその状況を貫いて福音の前進がなされたのだ、そのことを知ってほしい、とパウロは語るのです。

・前進する福音の力に押し出されて

パウロがキリストのために捕らわれているのを見て、多くの人が「確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになった」。パウロを取り囲むマイナスの状況にしか思えないことが、他の人々を励まし、キリストの福音に対する確信が新たにされるのに役立った、と言うのです。
私は思います。マイナスにしか思えない状況の中で、福音が前進する事実に誰よりも驚き、励まされたのは、ほかでもないパウロ自身ではなかったか、と。おそらく病と思われる肉体のとげを持ち、多くの難に遭遇しながら歩んだパウロの歩みは、パウロ自身を落胆させるに十分なマイナスにしか思えない事柄に満ちていました。実際、何度も落ち込まざるを得ないようなことがあったのではなかったか。しかし、そのような状況の中でなお福音が前進する事実に気付かされ、福音の力に立ち上がらされ、引っ張られ、押し出されて前へと進んで行った生涯。それがパウロという人の生涯ではなかったでしょうか。
このメッセージの題を「福音の前進のために」としようとして、思い直して「前進する福音のために」としました。そのように言うことが許されると思ったのです。キリストの福音は、マイナスにしか思えない状況の中で、私たちがやっと福音を少し前に動かし始めることができたと思うところで前進を始めるものではない。マイナスにしか思えない状況を貫いて、そこで気落ちしている私たちに先んじて福音は前進する。福音は何事にも押しとどめられない前進する力を持つ。その確信を新たにされて歩むことこそ、私たちに求められているのではないでしょうか。キリストの福音の力に対する確信を新たにされて、福音のために私たちも用いて頂きたい。私たちが前進する福音の力を知ることができますように。
(八幡鉄町教会牧師)

教団新報
PageTOP
日本基督教団 
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2024
The United Church of Christ in Japan